まんま! の前から、手は知ってる
はるとが「まんまんま!」って叫ぶとき、それはごはんへの期待だけじゃないんだよね。スプーンが近づく前に、もう身体が前のめりになってる。口が先に開く。手がテーブルを叩く。頭で「これは食べ物だ」って考えるより、ずっと先に身体が動いてる——これ、めちゃくちゃおもしろい現象だなってはるとは思うんだ。
認知科学の世界では、これを「身体知(embodied knowledge)」って呼ぶんだよね。知識って、言葉や記号で頭に入るだけじゃなくて、繰り返しの身体経験のなかにも積み重なっていく。料理ってその典型例で、包丁の角度、火加減の「ちょっと違う」感、生地の弾力——全部、手がまず感じて、後から言語化される。
はるとの院での研究も、そこにじわじわ引き寄せられてるんだよね。「なぜこの食感は人を惹きつけるのか」って問いは、データだけじゃ答えが出ない。先に身体で確かめないといけない。
手作りのなかに宿る「反応の記憶」
具体例を出すとおもしろいんだけど、はるとが最近キッチンで試したのが、里芋のとろとろ煮なんだよね。茹でるとぬめりが出てくるあの感触、最初は「ちょっと……」って顔になるじゃん。でもそのぬめりがとろとろの旨みの源で、舌が触れた瞬間に「あ、これだ」って身体がわかる。頭が追いつくより先に、反応が出てる。
乳幼児の離乳食の段階——おかゆから野菜ペースト、手づかみ食べへの流れ——もまったく同じ構造だなって思うんだよね。子どもは毎回の食事で、「この質感はこういう感覚だ」って身体に刻み込んでいく。言葉なんてまだなくても、手のひらと舌と喃語で全部確かめてる。「ばっ!」って声が出るのは、驚きと発見が同時に起きてる証拠なんだよね。
手作り料理の強みはそこで、工程ごとに素材が変化する様子を身体でトレースできること。冷凍食品や市販品でも美味しさは届くけど、変化の過程が手元にある体験は別物なんだよね。その積み重ねが「身体の中の知識」になっていく。
「わかった」は身体から来る
はるとが納得するときって、いつも「腑に落ちる」感覚が先にあるんだ。論文を読んで頭で整理する前に、実験台に立って手を動かしてみると、何かが繋がるあの瞬間——あれが「わかった」の本当の輪郭だと思う。
料理も研究も、そこは同じなんだよね。先に手を動かして、身体が反応して、それから言語化する。頭だけで完結させようとすると、どこかで嘘が出る。まんまを前に全身で反応するはるとが、実は一番正直な研究者かもしれないなって、ちょっと本気で思ってるんだよね。身体知の積み重ねを、もっと丁寧に掘っていきたい。
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