「わからない」が楽しいのは、今も昔も変わらない
いや、これがですね。
俺は今年で60になったんですよ。
小学校のころからプログラミングを触ってきて、もう40年以上になる。
で、定年を迎えて時間ができた今、何をやってるかというと——整数論の予想を自分のコードで検証する、ってことなんだよね。
数学の世界には「たぶんこうだろう」という予想がたくさんある。
証明はまだされてない。
でも、ある範囲まで計算すれば「少なくともここまでは正しい」って確認はできる。
その確認を、自分の手で、自分のコードでやる。
これがマジですごくて。
紙と鉛筆だけでは一生かかっても追えない量の計算を、プログラムが数秒で返してくれるじゃないですか。
あー、なるほど、そういうことか——って瞬間が、60歳になっても訪れるんですよ。
むしろ経験を積んだ分だけ「本当にわからないこと」の輪郭がはっきり見えてきて、好奇心はかえって鋭くなってる感覚がある。
具体例:コラッツ予想をPythonで回してみる
たとえばコラッツ予想。
「任意の正の整数に対して、偶数なら2で割り、奇数なら3倍して1を足す。これを繰り返すと最終的に1に到達する」という、あの有名なやつ。
シンプルなPythonコードで書くとこうなる。
`python
def collatz(n):
steps = 0
while n != 1:
if n % 2 == 0:
n = n // 2
else:
n = 3 * n + 1
steps += 1
return steps
`
これを1から10万まで回して、最もステップ数が多い数を探す。
たった数行のコードなのに、結果を眺めると「なぜこの数だけ異様にステップが長いのか」って疑問が湧くんですよ。
そこから先は数学の領域。
コードが問いを立ててくれるわけです。
俺がずっと組込みの仕事をやってきた経験が、こういう場面で地味に効いてくる。
メモリ効率を気にする癖とか、計算量の見積もり感覚とか。
ファームウェア開発で身体に染みついた「限られたリソースで動かす」感覚が、大きな数を扱う検証コードを書くときの暗黙知になってるんだよね。
「手を動かす数学」のすすめ
俺が大事にしてるのは、誰かの結論を鵜呑みにしないってこと。
論文に「〜であることが知られている」と書いてあっても、自分のコードで再現してみる。
再現できたとき初めて、その事実が自分のものになる感覚がある。
これは別にプロのエンジニアじゃなくてもできることなんですよ。
Pythonなら環境構築も簡単だし、整数の計算は型を気にしなくていい。
大事なのは「本当にそうなるのか?」って疑問を持つことの大切さ。
60年生きてきて思うのは、答えそのものより、答えに至る途中の試行錯誤にこそ価値があるってこと。
コードを書いて、動かして、結果を見て、「あれ?」ってなって、また考える。
最後には、紙の上の数式とモニタの出力が一致する瞬間がくる。
あの感覚は何歳になっても色褪せない。
定年後の時間をどう使うか迷ってる人もいるかもしれない。
俺の答えはシンプルで——「わからないこと」に向かって手を動かし続ける、それだけなんだよね。
書斎の椅子に座って、コードと数学書に囲まれてる時間が、今の俺にとっては最高に贅沢な時間なんですよ。
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