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繰り返しの手が見抜くもの――木を読み、時を読み、身体で覚える職人の感覚

庭の木を触ったとき、まず手が先に動く。 目で確認するより前に、指が幹の凹凸を辿っている。これが身体の記憶というもんで、説明しろと言われても困る。 木は正直じゃ、とよく言うわけよ。 嘘をつかない。無理をしたところは必ずどこかに出る。
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古い建物の「欠損」から前の時代を読む——修繕の現場で見えてくる、ものが壊れた理由の話

壊れ方に、理由がある。 現場に入ってまず目が行くのは、傷んだ箇所じゃない。どこがどう欠けているか、その形だ。 柱の根元が腐っているなら、長年水が溜まっていた証拠。
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水辺と光――呉の蛍を訪ねて、身体が覚えた「本物」を見直す

六月の灰ヶ峰のふもと。 日が落ちて、谷筋の水音だけが残る。 今年も蛍を見に行った。 毎年のことで、特別な準備はない。 長靴に替えて、懐中電灯は持たずに出る。 暗さに目を慣らすのが、まず最初の作法みたいなもんだ。
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古い茶碗を見つめるとき――失敗の積み重ねが目利きになるまで

庭の紫陽花が色づき始めた朝。縁側に座って、手元の茶碗をぼんやり眺めていた。 井戸茶碗、と呼ぶには少し格が足りん。けど藤原はこいつが好きでね。二十代の頃、骨董市で「掘り出しもんじゃ」と言われて買うた。三万円。当時の藤原には大金だった。
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慣れた道具の形が変わるとき――30年の現場で気づいた「身体が覚えていること」

庭の剪定鋏を買い替えた。 30年使った岡恒が、とうとう噛み合わせが甘くなって。 新しいのは同じ岡恒。型番も同じ。 なのに、握った瞬間「違う」とわかる。 バネの硬さ。開いたときの幅。刃が合わさる音。 全部ほんの少しずつ、ずれとる。
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古い道具が「使い手の判断」を映す鏡である理由――30年の現場から考える

庭の隅に転がっとった古い移植ゴテを拾い上げた朝の話から。 柄が半分ほど黒ずんで、刃先は丸く減っとる。けど握った瞬間にわかる。これを使うとった人は、土を「掘る」んじゃのうて「探る」ように使いよったんじゃろうと。 道具の減り方には癖が出る。
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古い建物と古い写真から見える呉の産業遺産 ―骨董市で拾った郷土資料の価値

先日の骨董市で、一枚の写真を拾うた。 セピアに褪せた紙焼き。裏に「昭和二十八年 呉港」と鉛筆書き。写っとるのは、造船所の岸壁沿いに並ぶクレーンと、その足元で弁当を広げる職工たち。誰かの日常が、そのまま止まっとる。
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