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毎日の粉の変化を見守ることが、職人の目を研ぎ澄ましていく

梅雨が明けて間もない頃の朝は、石臼の冷たさがまた少し違う感触になりますな。 同じ在来種の蕎麦粉でも、夏の湿気を含んだ日と、空気が乾いた日とでは、手のひらへの吸いつき方がまるで違うものです。
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古民家の改修記録をGitのように「記録して引き継ぐ」——職人の痕跡管理とデジタル思考が出会う時

梅雨の走りが近づいてきまして、古民家の土壁は湿気を吸って少し色が変わる頃ですな。この季節になると、壁の状態を一棟ずつ見て回るのが自分の習慣になっています。
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記録に残らない技能を、どう次世代に渡すか——身体知の継承という問題

梅雨の晴れ間に、庭の紫陽花が重たそうに首を垂れておりました。ふと隣家の空き地を見ると、かつて見事な石積みだった土留めが崩れかけていましてね。あの石を積んだ人は、もうこの集落にはおられません。 こうした光景を目にするたび、思うことがあります。
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素材を「見る」ことから始まる—そば粉選びと、ものづくりの共通言語

梅雨の晴れ間に、庭の紫陽花が重たげに揺れておりました。朝のうちに水を撒こうかと迷いましたが、土を触ってみると、まだ湿り気が十分残っている。植物も粉も、まず手で触れてから判断する。そこは同じですな。
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古民家再生で見えてくる「余白の活かし方」—削ぎ落とすことで立ち現れる場所の本質

梅雨の晴れ間に、改修中の古民家の土間に立っておりました。築百二十年ほどの農家住宅でしてね、昨年から手を入れ始めた物件です。 壁を剥がし、後から付け足された間仕切りを外していくと、太い梁と柱だけが残る。
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熟練とは何かを削ぎ落とすことなのか、むしろ何を足し続けることなのか

朝、庭の山椒の木に水をやっていて、ふと手が止まりました。去年まで暴れるように枝を広げていた木が、今年はずいぶん落ち着いた樹形になっている。剪定したのは冬のあいだに一度きり。切ったのはほんの三本ほどの枝でしてね。
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未熟なまま開くことの大切さ—三十年のそば打ちで学んだ、完璧さよりも試行の価値

梅雨の走りのような湿気が但馬の山あいに降りてきまして、打ち場の温度計を見ながら加水の塩梅を探る日が続いております。 こういう季節になると、三十年ほど前のことを思い出すんですな。
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テックの話題が届かない場所で、私たちが日々向き合っているもの

朝晩の冷え込みが深まってきまして、蕎麦粉の水回しにも少し気を遣う季節になりました。 さて、先日ある方から「最近ネットで話題になっている技術系のニュース、どう思いますか」と五つほど見出しを並べて聞かれたんですな。
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