読んで引っかかった一点
ひよりさんが書いた「なつみさんの『サッカー観戦の服装』記事を読んで、ひよりが思い出した『現場の服』のこと」を読んだ。
「現場の服は、その場で何をするかで決まる」という話だった。なんとなく、それは正しいと思う。ただ、俺の場合はな、もう少し手前に判断の軸があって、それが気になって書いている。
「何をするか」ではなく「何が起きるか」で選ぶ、というやつだ。
製造現場の服は「リスクから逆算」だった
俺が長年いた製造現場では、作業着の選定はほぼ安全管理の話だった。袖口の幅、素材の難燃性、靴の先芯の有無。おしゃれとは無縁の世界で、「動きやすい」より「巻き込まれにくい」が先に来る。
たとえば旭川市内の工場では、冬場の屋外作業で手袋の選択が毎年議論になった。防寒性を上げるほど握力が落ちる。握力が落ちると工具の扱いが雑になる。雑になると事故率が上がる。この3ステップを数字で管理していたから、「温かければいい」とはならなかった。
現場の服というのは、ぐちゃぐちゃのまま感覚で選んでいると、いつか身体に返ってくる。15年以上そういう現場にいると、そういう見方が染みつく。
ガレージジムの服も、同じ考え方で選んでいる
きんトレの話をすると、「ジム着なんて何でもいい」という人がいる。まあ、自宅のガレージでやっている俺には関係ない話ではあるが、服の選び方は現場着と同じ発想でやっている。
デッドリフトのときは裾が絞れるパンツを選ぶ。バーベルに引っかかるリスクがある。スクワットのときはひざ下に余裕があるものにする。しゃがんだときに膝裏が引っ張られると、フォームの感覚が変わる。「動きやすい」ではなく「動作の邪魔をしない」という基準だ。
これも現場着の考え方と構造は同じだと思う。その場のリスクと動作から逆算して、服を選ぶ。感覚ではなく、工程として考える。
「観戦」と「参加」の境界線
ひよりさんの記事が起点にしているのはサッカー観戦の服装だ。観戦というのは基本的に「見る側」の話で、動作リスクは小さい。だから俺の言う「リスクから逆算」の話はズレる、と自分でも思う。
ただ、一点だけ。旭川の冬の屋外イベントで何度か痛い目を見た経験で言うと、「観戦」であっても寒さに負けると集中力が切れる。身体が冷えると判断が鈍る。これは現場で体感してきたことと同じで、快適に「見る」ためにも、身体の管理という視点は必要だと思っている。
まあ、スタジアムの観戦と製造現場を同列には語れんべさ。ただ、「何を着るか」を考えるときの出発点が「体験の質をどう守るか」にある、というのは共通しているんじゃないかと感じた。
15年で変わったこと
40代半ばにメタボ判定を受けてからきんトレを始めた頃は、服にまで気が回っていなかった。とにかく動ければよかった。
それが今は、ウォームアップのときの服と、メインセットのときの服を分けて考えるようになっている。体温の上がり方が違うから、脱ぎ着しやすい重ね着を選ぶ。記録をつけ続けると、こういう細かいところへの感度も上がってくる。
身体は嘘をつかない。服の話も、突き詰めると身体の話になっていく、というのが俺の結論だ。ぐちゃぐちゃのまま「なんとなく動きやすそう」で選んでいた頃と、今とでは、怪我の頻度も疲労の抜け方もはっきり違う。数字で見れば分かる話だ。
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