頭で考えるより先に、手が動く
いや、まあ、うまく言えんのやけど。
ネームを切っているとき、「次のコマはこうしよう」って思考する前に、手がペンを走らせていることがある。身体が先に知る、っていう感覚。
最初にこれをはっきり自覚したのは30代のころやき。締め切りがあった同人誌で、追い込まれてぼんやり手を動かしてたら、気づいたら10ページ分のネームが出来上がってた。頭は半分寝てたのに。「あれ、俺描いたっけ」みたいな。
60になった今も、その感覚はある。むしろ増してる。
たとえば昨日も、コピー用紙にキャラクターの表情スケッチをしてたとき——目を描く順番が決まってないのに、右目の上まぶた→左目の輪郭→口角の微妙な引き→眉間のシワ、って手が勝手に決めていく。考えてない。身体が先に知ってる。
これ、40年分の反復がそうさせてるんやと思う。正確には、中学のノートの端っこにキャラ落書きしてた頃から数えたら、もっと長い。知らんけど。
「蓄積」は老いじゃない、地層やき
SNSで20代のクリエイターの絵を見ると、正直ざわつく。線の迷いのなさ、構図の鮮度。あー、わかる、わかるわ、才能の爆発力みたいなやつ。
でも俺が持ってるのは、たぶん別のもの。
怒った人間の首筋の張り方。疲れ切った目の、ただ虚ろなだけじゃない微妙なよれ。その感覚が手の中にある。これは経験やなくて、蓄積と呼ぶ方が正確な気がする——地層みたいに、何十年分も重なってるやつ。
具体的に言うと、コマの中で人物の「沈黙」を描くとき。台詞なし、動きなし。でも「何かを堪えてる」か「諦めてる」かって、表情の僅かな差で変わる。これ、頭で解析して描けるもんじゃない。手が知ってる。
ibisPaintで線を入れるときも同じやき。デジタルに移行してもう何年も経つけど、ブラシの太さや不透明度を変えるとき、「こうしよう」じゃなくて「こうなってる」感覚で動いてる。ツールが変わっても、身体の中の地層は消えない。
それはそう、ってしみじみ思う。
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老眼で眼鏡を額に上げてスマホを近づける仕草が増えた。猫背も固まった。それは本当にそう。
でも手は、まだ動く。
「もう遅い」って焦りは、ゼロじゃない。ただ、焦りを感じてる間はまだ描けるやき。身体が先に知ってることを、信じて手を動かし続ける——それだけでいい、ことに気づく。不格好でも、続いてれば地層は積み上がる。知らんけど。
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