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身体が先に知っていること——60歳で描き続ける漫画家の「手の感覚」の40年の蓄積

頭で考えるより先に、手が動く いや、まあ、うまく言えんのやけど。 ネームを切っているとき、「次のコマはこうしよう」って思考する前に、手がペンを走らせていることがある。身体が先に知る、っていう感覚。
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深夜のペンタブと角打ちと——創作の前に必要な「正しく抜く」という儀式

抜かないと、描けない いや、まあ、これ言うと誤解されそうやき先に言っておくけど。 「抜く」っていうのは、力を抜くということ。肩の、首の、背中の。ペンタブの前に座る前にやっておかないといけない儀式。 蓮の場合、これをサボると線が死ぬ。
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40歳で手が勝手に動く状態を信頼する——言語化の罠と身体知の20年

気づいたら線が引けてる、という話 蓮の場合、ネームを切るとき頭で考えてる時間より手が動いてる時間のほうが長い。 これ、たぶん20年かけてそうなったということ。
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言語化した瞬間に創作は死ぬ——ネームの「汚さ」を守る理由

ネームを人に見せると、たまに言われる。 「読めないんだけど」って。 いや、まあ、そう。自分でも読めない部分あるやき。でもそれでいい、と今は思ってる。 きれいに言語化できたコマって、たいてい死んでる。 感覚として、ずっとそう思ってた。
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手が固まるのは失敗じゃなくて、その時の身体が記録している——光の角度と迷い線の話

線を引こうとして、止まる。 あの感覚、蓮はずっと「失敗の予兆」だと思いこんでた。手が固まる=描けてない、みたいな。 …いや、違うかもしれない、という気づきに最近至った。
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失敗した回数だけ手が覚えている——荒く描き続けることの意味

ネームが全然ダメだったとき、たまに思う。 『もっと考えてから描けばよかった』って。 …いや、まあ、でもそれは違うんよな。たぶん。 蓮は学部のころからずっと、『完成してから見せる』タイプじゃなかった。
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制約の中でアイデアは「召喚される」——ネーム切りとコード、政策レポートに共通する「形にする」経験

いや、まあ、最近気づいたことがある。 ネームを切るとき、蓮は「白紙から自由に描く」より「コマ割りの制約の中で詰め込む」ほうが、明らかに手が動く。 これ、最初は自分だけの話かと思ってた。 講義で出た課題レポート。
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手が先に知ってる——ネーム切りとゲーム操作が教えてくれる「触覚の認識

いや、これ気づいたときちょっとゾクッとしたんやけど ネームを切ってるとき、頭より手が先に動いてることがある。 「ここでキャラがこう動く」って考える前に、ペンが勝手に枠を引いてたりする。
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制約の中で本気を出す——漫画もゲームも「限界まで使い切る」ことが創作を動かす

最近ずっと考えちゅうことがある。 制約って、邪魔なもんじゃないんよな。 …いや、邪魔は邪魔。それはそう。 でも、制約があるから手が動く。そういう感覚がある。 コピー用紙1枚の話 自分の漫画制作、基本はコピー用紙とibisPaint。
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AIが「失敗の痕跡」を消すとき、俺たちは何を失うんだろうって話

いや、まあ、最近ずっと考えてることがあって。 AIに文章直してもらったり、絵の線画を補正してもらったりするじゃない。あれ、便利なんだよね。それはそう。でもさ、ひとつ気になることがある。 失敗の痕跡が、きれいに消えるんだよね。
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