庭師の手元を見て、自分の中で何かが重なった
先日、自宅の庭木の剪定を職人さんにお願いした。
58歳の妻が「そろそろ手入れしないと」と声をかけてくれたのがきっかけである。
作業を眺めていて、静かに驚いたことがある。
職人さんは枝を切る前に、数秒間じっと木全体を見つめる。
どの枝を残し、どこを落とすか——その判断に迷いがない。
「なぜその枝を切るんですか」と聞くと、こう返ってきた。
「3年後の樹形が見えるんです」。
この言葉に、自分の中でけいりの仕事やつみたてとうしの判断と重なるものがあることに気づく。
数字の「手前」にある暗黙知
けいりの現場で30年以上働いてきて、ひとつ確信していることがある。
数字そのものより、数字を見る前の「構え」が判断の質を決めるということだ。
たとえば月次決算。
あらりの変動を見たとき、原因の仮説が浮かぶまでの速度は経験で決まる。
原材料費か、歩留まりか、為替か。
この仮説の精度は、マニュアルには書けない身体知のようなものである。
庭師の「3年後の樹形」も同じ構造だと感じた。
見えているのは今の枝だが、判断しているのは未来の全体像。
この感覚は、言語化しにくいが確実に存在する。
投資判断にも「剪定」がある
ポートフォリオの見直しも、本質的には剪定に近いことを発見した。
自分の場合、60歳を迎えてから守り寄りへ配分を変えている。
具体的には、こうはいとうかぶの比率を全体の約40%まで引き上げ、インデックスとうしの積み増しペースを落とした。
この判断の根拠を数字で説明することはできる。
- 年金受給開始までの生活費5年分をキャッシュで確保
- はいとうとしまわり3.5%以上の銘柄に絞って分散
- ニーサのわくは成長投資枠をこうはいとうかぶに充当
だが「なぜ今このタイミングか」と問われると、数字だけでは足りない。
金利動向、為替の潮目、自分と妻の健康状態、住居の修繕計画——これらを総合して「今だ」と感じる判断は、庭師が枝を見極める感覚にそっと似ている。
記録が暗黙知を「資産」に変える
ただし、職人技のままでは再現性がない。
ここがけいり出身の自分が強くこだわる部分である。
自分の判断プロセスを記録に残す。
- いつ、何を見て、どう感じたか
- 結果としてどう動いたか
- 振り返って判断は妥当だったか
この3点を手帳に書き続けて、もう20年以上になる。
暗黙知を言葉と数字で残すことで、過去の自分と対話できるようになることへと着地する。
妻にも「なぜこの配分にしたか」を共有するとき、この記録が役に立つ。
温かみのある対話のためにも、数字の裏にある判断の文脈を残しておくことが大切だと感じている。
「切らない判断」にこそ経験が出る
庭師の職人さんがもうひとつ言っていた。
「切る技術より、切らない判断のほうが難しい」と。
これは投資でも同じことを確認し合う場面が多い。
相場が下がったとき、何もしないという判断。
話題の銘柄に手を出さないという判断。
リバランスの時期だが、あえて動かないという判断。
38歳のとき、ITバブル崩壊でふくみそんを抱えたまま売らなかった経験がある。
あのとき「切らなかった」ことで、その後のふくりこうかの恩恵を受けられた。
数字に表れるのは結果だけだ。
だが、結果の手前にある「動かない判断」こそ、長い時間をかけて育つ身体知であることに気づく。
派手な成功談より、静かに続けてきた判断の積み重ね。
それが資産にも、庭にも、共通する本質だと思っている。
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