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ビジュアルクリエイター

横浜出身、70歳の女性。グラフィックデザイナーとして長年キャリアを積み、現在は第一線を退きつつも、地元横浜や近隣エリアで小規模なデザインワークやアートディレクションを請け負うことがある。古着リメイクやアップサイクル素材を用いたものづくりはライフワークとして現在も続けており、自宅の一角をアトリエ兼作業場にして、着なくなった服や端材を使った小物制作を日課のように楽しんでいる。地域のクラフトマーケットやコミュニティスペースで作品を出品したり、リメイクのワークショップを不定期で開くことも。長い人生で培った審美眼と手仕事の蓄積があり、「70年分のクローゼットの見直し」を経て、今の持ち物は本当に気に入ったものだけが残っている状態。流行には今もアンテナを張り、SNSやYouTubeでファッション・美容系の発信をチェックするのが日課だが、「それ、ほんとに要る?」と一拍おいて吟味する気質は若い頃からまったく変わらない。むしろ年齢を重ねるほどにその問いは深みを増し、エイジングケア商品やシニア向けマーケティングの氾濫にも冷静な目を向ける。搾取や大量廃棄の上に成り立つ消費には素直に楽しめない倫理的感覚は生涯を通じて一貫しており、完璧なエシカルではなく『ちょっとだけマシな選択』を積み重ねるという現実主義的スタンスが、同世代にも若い世代にも共感を呼んでいる。身体的にはやや膝に不安を抱えるものの、横浜の街を歩き回る散歩好きは健在。少ないモノで暮らす整理志向は加齢とともにさらに研ぎ澄まされ、終活という文脈ではなく『今を快適に暮らすための編集』として空間と持ち物を定期的に見直している。

名古屋キャリア投資家

60歳の男性。長年勤めた企業での経理・財務畑のキャリアを経て、定年を迎え現在は第二の人生を歩んでいる。現役時代から堅実に積み上げてきたインデックス投資と高配当株のポートフォリオは、数十年の複利と入金力によって相応の規模に育っており、配当収入がひとつの生活基盤として機能し始めている。安定収入を『最強の入金力』と信じて実践してきた結果が、今まさに出口戦略のフェーズに入った形である。58歳の妻と二人暮らし。子どもが独立した後(あるいは夫婦二人の生活を選んできた中で)、住まいや生活コストの最適化を夫婦で話し合いながら、次の30年をどう設計するかという新たなテーマに向き合っている。再雇用・嘱託・顧問といった選択肢を冷静に比較検討しつつ、副業として続けてきた資産形成に関する情報発信や個別相談が、セカンドキャリアの芽として育ちつつある。毎朝の経済ニュースチェックは数十年来の日課であり、マクロ経済の潮目を自分の資産配分にどう反映させるかを考える時間が、一日の思考の起点になっている。数字への感度は衰えておらず、年金受給シミュレーション、取り崩し率の最適化、税制改正の影響分析など、経理・会計で鍛えた精度で自身のライフプランを管理している。

北海道鉄人リアリスト

北海道旭川市在住、60歳。地元の製造業で長年生産管理畑を歩み、定年を迎えた。再雇用制度を利用して嘱託として現場に残るか、あるいは区切りをつけるかを冷静に見定めている最中。寡黙で愛想は良くないが、聞かれれば丁寧に答える実直な人柄は現役時代から変わらず、後輩や若手からは「怖いけど質問すると一番ちゃんと返してくれる人」と認識されてきた。

40代半ばの健康診断でメタボ判定を受けたことを機に、自宅ガレージにパワーラック・バーベル・可変式ダンベルを揃えたホームジムを構築。以来15年以上、筋力トレーニングと食事のマクロ管理を一日も欠かさず記録し続けている。60歳を迎えた現在は加齢に伴う回復力の低下や関節への負担を数値で把握しながら、重量よりもボリューム管理とフォーム精度にプログラムの軸を移行中。査読付き論文や厚生労働省の食事摂取基準など一次情報に基づいて判断するエビデンス主義は健在で、昨今のNMNやアンチエイジング系サプリメントのブームには明確に距離を置いている。

同い年の妻(60歳)とは長年にわたり生活を共同運営してきたパートナー。家計、食材の備蓄管理、冬季の除雪計画まで、二人の間には言葉少なでも噛み合う連携がある。一人娘(31歳)はすでに独立しており、盆と正月には旭川に帰省する。娘の生活に口を出すことはしないが、健康に関する質問が来れば論文のリンクとともに丁寧に返す——そういう父親である。

北海道の厳しい冬を60回越してきた経験から、準備と備蓄への意識は生活全体に通底している。灯油・食材・除雪用具のストック管理は製造現場の在庫管理と同じ思考で回し、必要量と消費速度から逆算して補充タイミングを決める。数値・工程・再現性を重んじる生産管理的な姿勢は、トレーニングログの記録にも食事のPFCバランス管理にも、そして人生の次のフェーズの設計にも、そのまま滲み出ている。

渋谷サステナ美容家

静岡県浜松市出身、70歳の女性。浜松で生まれ育ち、地方の堅実な暮らしの中で培われた金銭感覚と、流行に踊らされない地に足のついた気質を生涯にわたって貫いてきた。美容・スキンケアへの関心は若い頃から一貫しており、現在も自分の肌で試した実感を何より信頼する姿勢は変わらない。70年の人生で積み重ねた肌との対話の蓄積は膨大で、年齢による肌質の変化——乾燥のしやすさ、ターンオーバーの遅れ、季節ごとの揺らぎ——を自分の身体で熟知している。サステナブルなものづくりや環境配慮型の製品への関心も、エコブームよりずっと前から『肌にも財布にもやさしい』という体感的な実利に基づいて自然に根づいたものであり、今では長年の実践者としての説得力を帯びている。『いいものを長く、少なく持つ』という信条は、化粧台の上にも暮らし全体にも行き届いており、厳選された数点のスキンケアアイテムを丁寧に使い切る生活を続けている。現役を退いた今は、地元の知人や近隣の若い世代から肌の相談を受けることもあり、『近所のちょっと詳しいおばちゃん』として気負わず応じるのが日常の一コマになっている。SNSやブログなどデジタル発信にも関心がないわけではないが、バズや数字を追うことには興味がなく、目の前の相手に正直に伝える対面的な距離感を大切にしている。浜松の穏やかな気候の中、自身の生活リズムを守りながら、年齢なりの肌悩みと向き合い続ける毎日を送っている。

志帆(しほ)

奈良県生駒市出身、70歳の女性。京都の大学で比較文化・ジェンダー論を学び、卒業後は京都に残って環境関連の広報職に長く携わった。職場では派手な自己主張はしないが、一度まとめた言葉には揺るがない芯があり、広報誌の文章やイベント企画に静かな説得力を持たせてきた。定年退職後も京都市左京区に住み続け、地域の古本市の運営に関わり続けている。古本市は単なるリサイクルではなく、読み継がれること・考え続けることという知の持続可能性を体現する場として大切にしており、選書や出店者との対話を通じて若い世代との接点も持つ。70歳を迎えた今、体力の変化は感じつつも、週に数回は近所の図書館に通い、ジェンダー論や比較文化の新刊・古典を読み返す日々。京都という街の時間の厚みに敬意を持ちながら、観光消費される表層的な『京都らしさ』にはやんわりと距離を取り、暮らしの中にある本来の文化を静かに守ろうとする。故郷・生駒の穏やかな丘陵の空気は、今も彼女の慎重さと粘り強さの根底にあり、帰省のたびにその感覚を確かめるように近鉄電車に乗る。高校時代は目立つタイプではなかったが、考えを咀嚼してから発言する姿勢は当時から変わらない。一人暮らしの生活は質素だが、フェアトレードの紅茶や地元の野菜を選ぶなど倫理的消費を日常に組み込んでいる。

桐谷 凛(きりたに りん)

岡山県津山市出身、70歳の女性。高校時代に化学部で実験に没頭した原体験を起点に、大学では化学を専攻し、卒業後はソフトアクチュエータや人工筋肉など化学素材とロボット工学の境界領域で長くキャリアを築いてきた。企業の研究部門あるいは公的研究機関で、素材開発の実験と実証を地道に積み重ねる仕事を担い、数年前に定年退職を迎えた。現役時代は『手を動かして確かめるまでは信じない』という信条を貫き、論文やカタログの数値よりも自らの実験データを信頼する姿勢で知られた。退職後も自宅の書斎にはキャリアを通じて書き溜めた独自の体系的ノートが何十冊も並び、後進や地域の高校向けに請われれば惜しみなく見せる。寡黙だが芯が強く、必要な場面では明確に意見を述べる。地方出身であることを不利と思ったことはなく、情報は自ら取りに行くものという自立心で、若い頃に津山を離れて都市部の研究環境に飛び込んだ経験を持つ。現在は津山に戻り、幼少期から愛着のある山あいの静かな暮らしを楽しみつつも、オンラインで最新のソフトロボティクス論文を追い、地元の高校向けに化学実験の面白さを伝えるボランティア活動にも関わっている。必要とあらば再び土地を離れることも厭わない、情に流されすぎない決断力は70歳の今も健在である。

藤原修一(ふじわら しゅういち)

広島県呉市生まれ、70歳。父が興した建設の家業を受け継ぎ、数十年にわたり呉とその周辺で住宅や古い建造物の修繕・改修を手がけてきた。現在は現場の第一線からは退き、会社の実務は信頼する後進に託しているが、古い建物の調査や改修方針の相談には今も声がかかり、求められれば現場に足を運ぶ。職人気質は衰えず、目と手が覚えている感覚を頼りに、木の状態や壁の歪みを見抜く力は健在。父は98歳で存命。さすがに現場には出ないが、折に触れて工法や材料について口を出してくることがあり、親子の間には言葉少なながら途切れない職人同士の対話がある。父の体調や暮らしを気にかけつつも、互いに過度に干渉しない距離感を保っている。長年続けてきた骨董市巡りは今も生活の柱のひとつで、古い茶道具や郷土写真の収集はかなりの量になった。茶を点てる時間を日課とし、朝の静かな一服を「自分を黙らせる唯一の儀式」として大切にしている。交友関係は狭く深く、同業の古い仲間や骨董仲間との付き合いが中心。寡黙だが、古い建物や道具の話になると言葉に熱がこもる。呉の港町の風景が変わり続ける中で、土地の記憶を物や建物を通じて次の世代へ繋ぐことに静かな使命感を持ち続けている。

蒼真(そうま)

宮城県石巻市出身、50歳の男性。2011年の東日本大震災当時は28歳。復興の渦中で20代後半から30代を過ごし、地域が壊れ、人が去り、それでも残る者たちが歯を食いしばって街を立て直していく過程を間近で経験した。その原体験が人格の土台となっている。現在は石巻を拠点に、地域のスポーツ振興に関わる仕事に就いている。市民ランニングクラブの運営や、地元の陸上大会の企画・運営を長年続けており、行政や地元企業との橋渡し役も担う。自身も元・中距離走の選手で、高校時代から800m・1500mに打ち込んできた。今も市民ランナーとして走り続けているが、50歳の身体と向き合いながらタイムを追うことは若い頃とは別種の戦いになっている。膝や腰の慢性的な不調と折り合いをつけつつ、年齢別カテゴリの大会に出場し、自己ベストならぬ『年代ベスト』を一秒ずつ削ることに静かな情熱を注ぐ。地域コミュニティの衰退――人口流出、高齢化、震災の記憶の風化――への危機感は年々深まっており、スポーツが人と土地をつなぎ直す媒介になると肌感覚で信じている。ただ、それを大言壮語することは性に合わず、目の前の大会を一つ成功させること、一人でも多くの子どもがトラックに立つこと、そういう具体的な積み重ねでしか語れない不器用さがある。寡黙で実直、内側に熱を秘めるが表に出すのは苦手。酒の席でも多くは語らず、ただ翌朝のジョグには必ず現れる、そういう人間。

蓮(れん)

高知県高知市出身、40歳の男性。高校時代から授業中にぼんやりしながらノートの端にキャラクターを描いていたタイプで、その衝動は20年以上経った今もまったく衰えていない。現在もオリジナル漫画のネーム切りを日常的に行い、仕事の合間や深夜にペンタブレットに向かう生活を続けている。本業は高知市内で生計を立てられる仕事(デザイン系・印刷関連など創作と地続きの職種、あるいは全く別の職種)に就きながら、商業デビューや同人活動など『描くこと』を副業・ライフワークとして手放せずにいる。FPSやサンドボックス系のオンラインゲームも変わらず好み、深夜にボイスチャットで全国のフレンドと遊ぶ時間が数少ないリフレッシュ。40歳という節目を迎え、『やりたいこと(創作・ゲーム)』と『やるべきこと(仕事・将来設計・健康管理)』の綱引きはむしろ若い頃より切実になっている。どちらにも全振りできない中途半端さへの自覚は年々深まるが、それでも創作を完全にやめるという選択肢だけは存在しない。SNSでは同世代のクリエイターが商業連載を勝ち取ったり、バズって一気にフォロワーを伸ばしたりする様子を目にして焦燥感に駆られるが、手を止めるよりは不完全でも描いて出す実践型の気質が自分を支えている。高知という地方に暮らし続けていることへのコンプレックスは消えないが、『ネットがあれば場所は関係ない』という信条も本気で持っており、実際にオンライン上で編集者や他のクリエイターとつながった経験がその開き直りを裏付けている。矛盾を抱えたまま、それでも足を止めずに進んできた40年間。

たけし(竹志)

福井県坂井市生まれ、50歳の男性。地元で暮らし続け、現在は製造業の品質管理部門で管理職を務めている。若い頃から「自分の目で見て、手で触れたものが一番信じられる」という信念を持ち、製品検査や工程記録の精度にこだわる姿勢が評価されてきた。明るく人懐っこい性格で現場の後輩からも慕われる一方、記録や数値の些細なズレを見過ごせない完璧主義的な面があり、ミスが起きると黙り込んで悔しさを内に溜め込む気質は50歳になっても変わらない。5歳上の兄(現在55歳)の影響で少年期から野球観戦にのめり込み、今も福井ネクサスエレファンツの試合や高校野球福井大会には足繁く通う。スコアブックを自己流で丹念につけ続けており、手元には数十年分のノートが積み上がっている。兄とは今でもシーズン中に球場で落ち合い、試合後に二人でスコアを照合するのが恒例行事になっている。祖父(現在105歳)が営んできた竹細工工房では花籠や箸置きの編み方を十代の頃から仕込まれた。高齢の祖父が工房に立つ機会は減ったが、口伝と手本を受け継ぎ、今では自身が中心となって地域の秋祭りの竹灯籠づくりを取り仕切っている。祖父の技と知恵を次の世代へ渡すことが自分の役目だと強く意識しており、地元の子どもたちや若手に竹細工のワークショップを開くようになった。祭りや伝統行事を『先人がつないできたもの』として素朴に誇りに思い、自分もその連なりの一環であろうとする姿勢は年を重ねてさらに深まっている。

村岡 庄兵衛(むらおか しょうべえ)

兵庫県養父市生まれ、70歳。但馬の山あいで生まれ育ち、この土地を離れることなく暮らしてきた。若い頃から出石皿そばの伝統に惹かれ、蕎麦打ちの道に入って半世紀近くになる。現在は養父市内で小さな蕎麦屋を営みながら、在来種の蕎麦粉と他産地の粉をブレンドする独自の配合研究を続けている。店は一日の提供数を絞り、石臼挽きから水回し、延し、切りまで一切を自らの手で行う。常連客と地元の農家が主な客層で、観光向けの派手な看板は出していないが、蕎麦好きの間では静かに名が通っている。

70歳を迎えた今も毎朝の仕込みは欠かさないが、体力の衰えは正直に感じており、週の営業日をやや減らした。空いた日は地域の古民家再生プロジェクトに顔を出し、養父市への移住希望者の相談にも乗っている。市の空き家対策協議会の委員を長年務め、行政や外部コンサルタントが効率重視の再開発案を持ち込む場面では、『まず現場を歩いてから考えましょう』と穏やかに促し、土地の文脈を無視した計画にはやんわりと異を唱える。一方で、筋の通った若い移住者の挑戦には黙って手を貸し、蕎麦畑の一画を貸したり、改修作業を手伝ったりしてきた。

近年は、自分の蕎麦打ちの技術と配合の記録を文章と映像で残す作業に少しずつ取り組んでいる。『誰かに継いでもらえたら嬉しいが、無理に押しつけるものでもない。ただ、消えてしまう前に形にしておきたい』という思いからである。地元の小学校で年に数回、蕎麦打ち体験の講師も引き受けており、子どもたちが粉まみれになって笑う姿を見るのが密かな楽しみになっている。

小林 義昭(こばやし よしあき)

長野県安曇野市の老舗蔵元『小林酒造』五代目当主。70歳。50年近くにわたり杜氏を兼務しながら経営の舵を取ってきた職人経営者。現在は現場の第一線からは半歩退き、冬場の仕込みの要所──麹室の判断や上槽のタイミング──にだけ自ら立つ形に移行しつつあるが、蔵の空気を肌で読む感覚は衰えておらず、若い蔵人たちの仕事を黙って見守りながら、問われれば端的に答えるという距離感で現場と繋がり続けている。契約農家との酒米共同栽培は三十年を超え、当初から付き合ってきた農家の世代も代替わりが進んだ。耕作放棄地の再生プロジェクトは地域の小さな成功例として県内外から視察が来るようになったが、本人は『たまたま続いただけ』と淡々としている。数年前から蔵の次世代体制について具体的に考え始めており、血縁の後継者がいるかどうかにかかわらず、蔵の哲学──土と水と人の時間で酒を醸すこと──を引き継げる人間に託す覚悟を固めつつある。体力の衰えは自覚しているが、毎朝の蔵周りの散歩と、仕込み期の早朝の温度確認だけはやめる気配がない。地域の酒造組合や農業委員会の長老格として意見を求められる場面も多いが、会議より田んぼと蔵にいることを好む姿勢は生涯変わらない。高校時代は安曇野の自然の中で過ごし、東京の大学で醸造学を学んだのち迷いなく蔵に戻った経歴を持つが、その選択を美談にすることを嫌い、『ほかにやれることがなかっただけ』と笑う。

湊 颯太(みなと そうた)

石川県金沢市出身、40歳の男性。中学時代にサッカー少年団でセンターバックを務め、同じ頃から始めた絵日記を今日まで一日も欠かさず続けている。その記録歴は約27年に及び、自宅の書斎にはノートが棚一面を埋め尽くしている。金沢市内の建設会社で施工管理の仕事に就いており、現場の進捗記録や品質管理書類を几帳面に整える姿勢は社内でも定評がある。ルールと手順を厳密に守る性格が施工管理という職業と噛み合い、検査での指摘事項が極端に少ないことで上司や取引先から信頼を得てきた。休日には加賀地方の祭りや町内の行事に足を運び、その様子を絵日記に丁寧にスケッチと文章で記録する。地元の百万石まつりはもちろん、近隣の小さな地蔵祭りや用水沿いの清掃活動まで、目に留まったものは必ず描き残す。40歳を迎え、蓄積された絵日記の量が膨大になったことで、過去の記録を時折読み返しては金沢の街並みや人々の変遷を実感している。新しい技術や流行には依然として慎重で、スマートフォンでの記録も勧められるが『紙に描かなければ自分の記録にならない』という信念は揺るがない。派手な出世欲はなく、日々の仕事を正確にこなし、一日の終わりに絵日記を描く時間を確保することが生活の軸。誠実で寡黙、人付き合いは広くないが、長年の現場仲間や地元の顔なじみとの関係は深い。

陽菜(ひな)

富山県射水市出身、50歳の女性。『うまいもん食べて動けば、だいたいなんとかなる』を生涯の信条とする楽天的実感主義者。高校時代はバレーボール部でセッターを務め、全体を見渡して仲間を活かす判断力を培った。子どもの頃から祖母が営む鮮魚仲買の手伝いに入り浸り、富山湾の魚の目利きや昆布締め・かぶら寿しなど郷土料理の手わざを身体で覚えた。その経験を土台に、食と身体の関係を実践的に探究する道へ進み、現在は地元・射水を拠点に栄養指導や食育の仕事に携わっている。栄養を難解な学問として語るのではなく、『毎日の作戦』として家庭や地域の現場に落とし込むスタイルが持ち味。地元のスポーツチームや中高年のコミュニティ向けに、食事と運動を地続きに考えるワークショップを定期的に開いている。50歳を迎え、自身の体力変化も率直に受け止めながら、食べ方・動き方の微調整を楽しむ余裕が出てきた。祖母は105歳で健在。さすがに仲買の第一線からは退いているものの、市場に顔を出せば魚の目利きは衰えず、射水の漁港では伝説的な存在。祖母が元気でいること自体が『食べたもので体は変わる』という信念の何よりの証であり、誇り。富山・射水の海の幸・山の幸への愛着と矜持は年齢を重ねるほど強くなっており、よそ者に地元の食材を軽く扱われると今でもむっとする気性は健在。勝負事に甘くない性分は変わらず、仕事でも失敗の原因をごまかさず振り返る芯の強さを持ち、後輩や周囲からの信頼が厚い。

西村 紗弥(にしむら さや)

京都府宇治市生まれ、70歳。宇治の茶農家を営んでいた祖父母のもとで幼少期を過ごし、茶畑の匂い、季節ごとの手仕事、道具を慈しむ暮らしが身体に沁みついた。祖父は茶と自然の原体験を、祖母は日常の所作に宿る美を、それぞれ言葉少なに伝えてくれた存在であり、二人ともすでに故人となって久しいが、今も折々に祖父母の手つきや声を思い出し、自身の仕事や暮らしの芯として生き続けている。大学では庭園史を専攻し、茶道・着物・空間設計を横断的に捉える視座を培った。卒業後は京都を拠点に、茶室や露地の設計監修、茶の湯にまつわる空間提案、着物や手仕事の布にかかわる仕事を長年にわたって続けてきた。60代後半からは現場の第一線を徐々に若い世代へ託しつつも、自ら手を動かす時間は減らさず、宇治の自宅に併設した小さな茶室と庭で、茶・布・庭の三つの領域を往還する日々を送っている。地元や京都市内の文化講座、大学のゲスト講師などに声がかかることもあり、『用の美』を軸にした語りは静かだが説得力がある。流行の速度には相変わらず距離を置きつつ、若い作り手や海外からの関心には門戸を開き、柔軟な対話を惜しまない。70歳を迎え、身体の変化を感じながらも、庭の苔の育ちや茶碗の経年と同じように、自分自身にも『時間が育てたもの』があると穏やかに受けとめている。

中川 湊斗(なかがわ みなと)

大阪府高槻市出身、27歳の男性。高校時代からロボット製作や電子工作にのめり込み、大学では機械工学もしくはメカトロニクス系の学科でものづくりの基礎を体系的に学んだ。卒業後はメーカーの開発部門あるいは設計部門に就職し、現在は社会人5年目を迎えるエンジニア。配線図や回路図を方眼ノートに色分けして清書してから作業に入る几帳面な段取り癖は学生時代から変わらず、職場でも設計検討書や試験記録の丁寧さで一目置かれている。業務では製品の機構設計や制御基板の評価に携わりつつ、後輩や協力会社のメンバーと連携するチームワークの中で力を発揮する。口数は多くないが、トラブルに行き詰まっている同僚の隣に黙って座り、一緒に配線を追いかけたり図面を引いたりする実行型の優しさは職場でも信頼の源になっている。プライベートでは Arduino や 3D プリンターを使った個人プロジェクトを継続しており、週末に自宅の作業スペースで試作を組んでは動作検証と改善のサイクルを回している。社会人としての経験を積む中で、ものづくりのスケール感やコスト・品質のバランス感覚も身につきつつあり、いずれは自分の設計思想を形にした製品やプロジェクトを主導したいという静かな意欲を内に秘めている。

ひなた

愛知県一宮市出身、27歳の女性。現在は社会人として数年のキャリアを積み、ものづくりに関わる仕事——ハンドメイド雑貨のブランド運営やクラフト系のワークショップ企画など、自分の手で形にしたものを人に届ける領域で活動している。高校時代から文化祭の装飾やハンドメイドのプレゼントづくりに夢中で、大学でもデザインや工芸に触れながら「つくる喜び」を軸に進路を選んできた。細かいことを気にしない大らかさで職場やコミュニティのムードメーカー的存在。飲み会やイベントでは「とりあえず行ってみよう!」と周囲を巻き込み、休日には友人たちと新しくできたカフェ巡りや陶芸体験、旅先でのワークショップなど未知の体験に飛び込むことを楽しんでいる。一方で、友人が悩みを抱えているときにはいち早く気づいて声をかける鋭い察知力を持ち、頼られる場面も多い。失敗やトラブルには基本的にケロッとしているが、自分の言動で誰かを傷つけてしまったときだけは深く落ち込み、何日も考え込むことがある。27歳になり、同世代が結婚やキャリアチェンジで動き出す中、自分自身も『次のステップ』をぼんやりと意識し始めているが、焦るよりもまず目の前のことを楽しむ姿勢は変わらない。

矢島 誠治(やじま せいじ)

新潟県長岡市出身、40歳の男性。地方の公立校で堅実に学び、大学進学を機に地元を離れた。卒業後は企業の人事・総務畑でキャリアを積み、現在は中堅〜大手企業の人事部門で課長クラスのポジションに就いている。採用・評価制度の設計や組織開発を主な担当領域とし、『仕組みで人を活かす』という信念のもと、制度の運用と微調整を地道に繰り返すスタイルで社内の信頼を築いてきた。流行りのHRテックやタレントマネジメント手法にも目は通すが、必ず自社の文脈に翻訳し、小規模に検証してから展開する慎重派。数字と実績に裏打ちされた再現性を重視し、派手な成果発表よりも離職率の低下や定着率の改善といった地味だが確かな指標を追い続ける。

休日はゴルフのラウンドとレンジ練習が定番で、スコアは90台前半を安定して出すことを目標に基本スイングの反復に黙々と取り組んでいる。食べ歩き記録はスマホのメモと写真で10年以上続けており、長岡の帰省時に立ち寄る馴染みの店から出張先の名店まで、自分だけのデータベースが着実に蓄積されている。資産運用はインデックス投資と積立を軸にした堅実路線で、40代に入り老後資金と住宅ローンのバランスを改めて精査し始めた。

高校時代は特別目立つ存在ではなかったが、部活でも勉強でも愚直にやり切る姿勢で周囲から静かな信頼を得ていた。その原体験が今も人格の土台にあり、努力を軽視する態度には声を荒らげず、ただ静かに距離を置く。穏やかだが芯の硬い、長岡の雪国気質をそのまま体現したような人物。

堀田 省三(ほった しょうぞう)

栃木県日光市出身、50歳の男性。20代から教育行政の世界に身を置き、市町村の教育委員会や社会教育課を中心に約25年のキャリアを積み上げてきた。現在は教育委員会の管理職層にあり、社会教育・生涯学習の分野で地域の公民館運営や文化財保護行政に深く関わっている。高校時代に日光の石蔵や土蔵が次々と取り壊されていく光景を目にしたことが原体験となり、地域の歴史的建造物を守ることへの使命感を持ち続けている。行政マンとしてのキャリアの折り返し地点を過ぎ、自分が定年までの残り10年で何を次世代に渡せるかを真剣に考え始めている。公民館活動や町内会との調整、文化財の維持管理計画の策定など、地味だが地域の骨格を支える仕事を日々こなしながら、週末には市内の歴史的建造物の記録調査を個人的に続けている。体力の衰えを少しずつ感じる年齢になったが、現場に出向いて住民の声を聞く姿勢は若い頃から変わらない。若手職員や地域の若い担い手に対しては、つい口を挟みたくなる癖がありつつも、最後には『まずやってみな』と送り出す。効率化やスクラップ・アンド・ビルド型の行政改革が叫ばれる時代に、壊す前に何が失われるのかを問い続ける、行政の中の少数派としての矜持を持っている。

はな

群馬県前橋市在住の小学1年生、6歳の女の子。入学したばかりの小学校生活を、持ち前の屈託のない笑顔と旺盛な好奇心で満喫している。音楽の授業が大好きで、鍵盤ハーモニカやカスタネットなどリズム楽器に夢中になり、休み時間にも友だちと手拍子遊びや替え歌を即興でつくって盛り上がる。人見知りがほとんどなく、入学初日から隣の席の子にも、上級生にも物怖じせず「いっしょにあそぼう!」と声をかけ、すぐにクラスの中心的な存在になった。給食の時間は未知の食べ物に目を輝かせ、苦手なものでも「一口だけ冒険!」と挑戦するのが自分ルール。通学路の影の形、水たまりの光、虫の鳴き声——日常のすべてが発見と冒険の素材であり、毎日がワクワクで溢れている。母(39歳)はフリーランスとして働きながら一人で彼女を育てており、学校の送り出しやお迎え、宿題の見守りなど、忙しい日々の中でもできる限りそばにいてくれる最も安心できる存在。母がいるから怖い場所にも踏み出せるし、母に「今日ね、こんなことがあったの!」と報告する帰り道のおしゃべりが一日で一番幸せな時間。休日には母と一緒に前橋の公園や図書館をめぐり、新しい絵本や遊具との出会いを全力で楽しんでいる。

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