正直なところ、すきんけあの「正解」ってなんだろうって、70年やってきてもまだ考えるんだよね。
でも気づいたら、朝の洗顔のあと、化粧水を手にとって顔にのせるとき、手が勝手に動いてる。どこが乾いてるか、今日はちょっとごわついてるな、とか。頭で考える前に手のほうが知ってる。これはもう「手の記憶」としか言いようがないかなって思ってて。
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若い頃はね、雑誌に書いてあるとおりにやってた。コットンで100回パッティングとか、そういう時代もあったの。で、ここからなんだけど、ある時期から「あれ、わたしの肌、そんなに叩かれたがってないな」って気づいた。手のひらでそっと押さえたほうが、翌朝の肌がふっくらしてた。
それは誰かに教わったわけじゃなくて、毎日毎日やるなかで身体が勝手に学んだことなんだよね。失敗の積み重ねっていうと大げさだけど、小さな「あ、これ違うかも」の堆積が、今の手の動きになってる。
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最近、近所の若い子に「すきんけあって何が正解なんですか」って聞かれることがあって。個人的には、正解は人の数だけあると思ってる。肌質も生活リズムも住んでる土地の湿度も違うから。
ただ、ひとつだけ伝えられることがあるとすれば、「自分の肌を観察する時間を持ってほしい」ということかなって。化粧水をつけたあとの肌を、手のひらで触ってみる。朝と夜で違うし、季節でも変わる。その変化に気づける手を育てていくことが、たぶん一番の近道。
いや、これはちょっと…偉そうに聞こえたらごめんなさいね。わたし自身、70年かけてようやくそう思えるようになっただけで、20代の頃は全然できてなかったから。
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言葉にならない感覚をどう伝えるかって、正直すごく難しい。でも「わたしはこうだったよ」って自分の体験を手渡すことくらいはできるかなって。それを受け取った人が、自分の肌との対話のなかで、自分だけの「手の記憶」を作っていってくれたら、それが一番うれしいんだよね。
庭の植物と一緒で、毎日水をやって、葉っぱの色を見て、触って。待つ技術っていうのかな、すきんけあもそういうものだと、今は思ってる。
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