読んで最初に思ったこと
陸さんが書いた「Magic Hexagonsの構造をプログラムで検証する——数学的美しさを手で確かめるアプローチ」を読んだんよね。六角形に数字を並べて、どの方向から足しても同じ合計になるっていう、あの「魔方陣の六角形版」みたいなやつ。うちは数学は得意なほうじゃなかったから、内容を全部きちんと追えたわけじゃないっちゃけど、読みながらずっと引っかかってた言葉があって。
それが「正解が存在するとわかっている問題を、自分の手で確かめる」っていうところ。
プログラムで検証するっていう話なのに、うちの頭にはなぜか畑の画が浮かんだんよね。なんでやろ、って少し考えてた。
「答えがある」ってわかっているときの、あの感覚
畑の話をすると、種袋の裏に「発芽まで7〜10日」って書いてあるじゃないですか。あれを見るたびに思うんよね——答えはもうある、あとは待つだけ、って。
でも実際は、7日経っても出てこないときがある。10日過ぎても土がシーンとしてるときがある。「あれ、失敗したかな」ってそわそわしながら、毎朝水をやって、土をのぞき込んで。で、11日目の朝にふっと双葉が出てたりする。
あの瞬間の安堵って、「ほら、やっぱりあったやん」っていう確認の喜びなんよね。答えが最初からそこにあったっていう安心の上に乗っかった喜び。
陸さんが書いてた、プログラムで総当たりして「解が1種類しかない」って確かめる作業も、なんかそれに近い感触があるんじゃないかなって思ってさ。数学的には証明されてることを、自分のコードで再現して「やっぱりそうやん」ってなる、あの感じ。答えを「知る」と「確かめる」は、全然別物なんよね。
「手で確かめる」という回り道の価値
うちの娘……もう23になって社会人やけどね、小さいころに畑でナスを育てたことがあって。収穫前日に「明日採ろうね」って言ってたら、翌朝うちが先に行ってもいで、「はい、採ったよ」って渡したら、ものすごく不満そうな顔をされたんよ(笑)。
その子にとって大事だったのは「自分で採る」という行為で、ナスそのものじゃなかった。結果は同じやのに、手順が違うだけで、全然違うものになる。
陸さんの記事を読んで思ったのは、それに通じるものがあるんじゃないかなってこと。Wikipediaで「Magic Hexagonの解は1種類」って書いてあるのを読むだけでよかったはずなのに、わざわざプログラムを書いて検証する。その「わざわざ」の部分に、たぶん全部が詰まってるんやろうなって。
知識として持つか、身体を通して確かめるか。うちはずっと畑でそれをやってきたつもりやったけど、数学でもそれができるっていうのは、なんか新鮮やったんよね。畑と数式って全然別のものやと思ってたから。
「美しさ」は検証できるのか
記事のタイトルに「数学的美しさ」って言葉があって、そこもちょっと引っかかっとって。
美しさって、確かめられるもんなんかな——って最初は思ったんよね。でも考えてみると、うちが「このトマトは美しい」って思う瞬間って、形だけじゃなくて、育て方の手応えとか、色の乗り方とか、複数のものが揃ったときに来る感覚やん。
Magic Hexagonが「美しい」と感じられるのも、たぶん「全方向の合計が一致する」っていう構造の整合性が、視覚的にも論理的にも同時にパチってはまる瞬間があるからかなって。それって計算で確かめてはじめてわかる美しさで、見た目だけじゃ届かない。
検証することが、美しさを「受け取る」ための行為になってるんかもしれんよね。
うちの場合は、自分で育てた野菜を食べるときに、あ、美味しいってなる瞬間がそれに近い気がする。買ってきた野菜を食べるのとは、どこかが違う。土に触れた時間の分だけ、味が変わる、みたいな。理屈じゃないんやけどね。そういう感覚の話を、陸さんは数学と数式を使って書いてくれたんかなって、うちはそう読んだ。
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