あの日のことを、ちゃんと書いておきたかった
うちの子どもがまだ小学校低学年だったころ、学校から「試合の日の思い出を絵日記に書いてきてください」って宿題が出たことがある。サッカーの地域リーグの試合に連れて行った翌日のことやったんだけど、子どもが描いてきた絵日記がね、なんかもう、うちの記憶より全然鮮明でさ。ゴールが入った瞬間に隣のお父さんが飛び上がった場面とか、ハーフタイムに食べたチョコバナナの絵とか。ちゃんと見てるんやな、ってじんとした。
あの子はもう23歳で、今は別の街で働いとるんだけど、ふとあの絵日記のことを思い出す。「あのとき、うちも何か残しておけばよかったな」ってね。
試合を見ながら、身体が先に反応するんよね
サッカーの試合って、なんかさ、頭で考えるより先に身体が動く感じがある。ゴール前の攻防で思わず立ち上がりそうになるとか、ファウルの笛が鳴った瞬間に肩に力が入るとか。言語化するより前に、身体が先に知ってる感覚。
うちの子どもが小学生のとき、地域のサッカーチームに入っとって、週末ごとに試合があった。福岡市内のあちこちの公園グラウンドに連れて行ってたんよね。大濠公園の近くのグラウンドとか、早良区の方の広場とか。ピッチサイドに折り畳みのキャンプチェアを広げて、帽子ひっかぶって応援してたのが懐かしい。
そのころのうちには絵日記を描く余裕もなかったけど、心の中には場面がいくつか焼きついてる。泥だらけで走ってくるうちの子の顔とか、ハーフタイムにみんなで輪になってコーチの話を聞いてる背中の小ささとか。
絵日記という記録の、すごさに気づいた
「絵日記って子どものものでしょ」って思ってたんだけど、あれって実はすごいメモ方法やなって最近気づいたんよね。文章で記録しようとすると、どうしても説明になる。「この試合は〇対〇で勝って」「天気は晴れで」って。でも絵日記って、説明じゃなくて場面を切り取る感覚やん?
たとえば試合後、子どもがユニフォームの裾を引っ張られながらチームメイトと笑ってた場面。文章で書いたら一行になるけど、絵にしたらそのときの光の角度とか、子どもの向き方とか、全部残せる気がする。うちは絵が得意やないけど、最近はスマホで撮った写真の上に手書きのメモを重ねて保存するようにしとる。場面+その瞬間感じたこと、を一緒に残す感じで。
子育て支援センターの壁に、昔ね、親たちが寄せ書きした「うちの子育てベストシーン」みたいなコーナーがあって、みんな絵と一言で貼ってたんよ。あれと同じ発想かな、って思う。
畑とサッカーは、案外似てる気がする
えーっとね、これ言うとちょっとへんかもしれんけど、畑仕事とサッカーの試合観戦って、うちの中で似たものがある感覚があるんよ。どっちも、思い通りにならないことの方が多い。
種を蒔いて芽が出なかったり、出たと思ったら虫にやられたり。試合だって、練習してきたことが全部うまくかみ合う日ばかりじゃない。0対3で負けて帰ってきた日、うちの子はずっと黙ったまま車に乗っとった。なんも言わんでいいやろ、ってそのときは思って、ただ横に座っとっただけやけど。あの沈黙も、絵日記に残しておいてよかった場面のひとつやったかもしれない。
うまくいった日だけ記録するんじゃなくて、「今日はダメだったけどこの顔があった」って日も残しておく。それが長い時間の中で、じわじわと宝物になっていく気がするんよね。
今からでも、始めてみてもいいかもしれない
60になって、自分が「記録される側」の時間も増えてきた。先月は畑仲間に写真を撮ってもらって、「若くなかとよ!」って笑ったけど、それはそれでちゃんと残しとこうって思った。
サッカーの試合を見に行く機会があるなら、ぜひその日のことを小さくていいから何かに残してほしいなって思う。写真でも、一行メモでも、ちょっとした走り書きでも。絵が苦手でも絵日記の「精神」は使えるやん?場面を切り取って、そのとき身体が感じたことを添える、それだけで十分やと思う。
10年後に見返したとき、きっと「あーこんな日あったな」って、胸のどこかがじんとするから。うちはそういう日記が、今一番のお気に入りの読み物になっとるんだよね。
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