「あ、土のにおいが変わった」って思う瞬間
うちの場合はね、毎年この季節になると畑に着いた瞬間に気づくことがあるんよね。
土のにおいが、変わる。
じわっと湿り気を帯びて、なんていうか、少し甘くなる感じ。
言葉にするほど何かが抜け落ちる気がするけど、あえて言うなら「また来たね」って土が言ってくれてるみたいな感覚っちゃけど。
子どもがまだ小さかったころ、一緒に市民農園に行くと、最初はちょこんとしゃがんでるだけやった。
でもしばらくすると「なんかにおいがする」って言い出してね。
それが嬉しくって。理屈じゃなく、身体でちゃんと季節を受け取ってるんやなってわかったから。
あの子、今は23になって福岡を離れて暮らしとるんやけど、帰省したときにふたりで畑を歩くと、いまだに土を触りながら「あ、秋の感じがする」って言うんよね。
そういうとき、ほんとうに何も言わなくていいなって思う。
黙っていることでしか渡せないものって、あるやん?
小さい頃の土いじりは「正解」がなくていい
なんかさ〜、子育てしてるときってつい「何かを教えなきゃ」って構えてしまうことがあってね。
うちもそうやった。野菜の名前を覚えさせようとか、正しい植え方を説明しようとか。
でも、えーっとね、ある日気づいたんよ。
子どもって、教えられてないことをちゃんとわかっていく。
土が冷たい日と温かい日がある、雨の後の畝が踏んだら沈む、ミミズが出てきたときの「うわっ」って感覚。
そういう身体知は、説明より先に身体に入っていくっちゃけど。
うちが気をつけとったのはひとつだけで、「安心して触れる土でいること」っちゃね。
農薬の使い方は自分なりの基準を持って、できるだけ子どもが素手で触れる畑にしておきたかった。
それは今も変わらない、というかそこだけは線を引いてきたことへ。
あとは、うまくいかなくていいんよね。
種まいて芽が出なかった日も、鳥にトマトをやられた日も、全部ひっくるめて「そういう日もあるよね」って言えると、子どもの方もあまり深刻にならない。
失敗を見せることも、たぶん悪くなかったんやろなって今になって思うっちゃけど。
季節を「体験する」から「共有する」へ
子どもが独立してから、畑との距離感はがらっと変わった。
ひとりで鍬を振ってると、ふっと「あのころは横でスコップ振り回しよったなあ」って思い出すことがある。
でも不思議となんだろ、今の方が畑の季節の移ろいをよりゆっくり感じてるかもしれないんよね。
急いで帰らなくていいし、誰かに説明しなくていい。ただ土と向き合う時間がある。
先月も、秋野菜の定植が終わったときに写真を送ったら、あの子から「いいな、畑の空気吸いたい」って返事がきてね。
次の帰省には一緒に大根の間引きをする約束をしとる。
離れていても、同じ季節の変化を土を通じて感じ合えることが、うちにとっては大事なつながりなんよね。
親子の土いじりって、終わらないのかもしれないって、最近そう思っとるっちゃけど。


コメント