なんかさ〜、この前の土曜日のことなんやけど。
市民農園でいつものように子どもと枝豆の様子を見に行ったら、隣の区画のおじいちゃんが先に来とって。うちが「おはようございます」って声かけたら、しゃがんだまま振り返って「今日はよう育っとるよ、あんたんとこの」って、それだけ言ってまた土に向き直った。
たったそれだけの言葉やん? でもなんていうかな、その一言がすとんと身体に落ちてきた感覚があって。子どもがうちの足元で土をこねこね触りながら「おまめ、おっきい?」って聞いてきて、「おっきいって」って返したら、にこーっと笑って。その場にいた三人の間に、ほんの数秒やけど確かに共感みたいなものが流れたことを再認識した瞬間やった。
最近ふと思うんよね。育児の記録アプリとか、成長の数値とか、そういうデータで測れるものはもちろん大事。でも「あの朝、畑で隣のおじいちゃんと目が合って、なんか安心した」みたいな感覚は、どこにも記録されんまま消えていく。うちはそれがちょっともったいないなって。
菜園って不思議で、隣同士で黙って作業しとるだけでも、なんとなく「一緒におる」感覚がある。言葉が少なくても身体が同じリズムで動いとると、それだけで充足感がある。子どもと土を触るときもそう。「ここ掘って」「うん」くらいのやりとりで、手の温度とか土の湿り気とか、そういう身体知みたいなものが共有されていく。
ママ友との関係でもそうかなって思うんよね。LINEで長文やりとりするより、保育園のお迎えですれ違ったときの「今日も暑かったね〜」の一言のほうが、なぜかずっと残ることがある。あ、それわかる〜って思ってくれる人、たぶんおるんやないかな。
データに映らん、記録にも残らん。でも身体のどこかにちゃんと蓄積されていく共感の瞬間。うちはそういう小さな充足を、畑と子どもとこの地域の中で拾い集めていきたいなって思っとる。完璧に言語化できんでも、「あのとき確かによかった」って身体が覚えとることが、日々を支える土壌になっていくことに3人が深く共鳴した、あの土曜の朝のことを書き残しておきたかった。
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