なんかさ〜、最近ふと気づいたことがあって。
うちと3歳の子ども、市民農園で並んで作業しとるとき、意外と会話してないんよね。「こっちに水やって」とか「ここ掘ってみ」とか、最低限の声かけはするけど、大半の時間はただ黙って、それぞれ土を触っとる。
この前もそうやった。うちがマルチの端を押さえながら土を寄せとったら、子どもが横でじーっと見て、しばらくしたら同じように小さい手で土をぎゅっぎゅっと押し始めた。教えてない。言葉にもしてない。でも身体の動きだけが、すっと渡った感覚があった。
えーっとね、なんていうかな、これって「身体知」みたいなものやと思うんよね。言葉で説明できる知識とはちょっと違う。土の湿り具合を指先で確かめるとか、苗の茎をどのくらいの力で支えるとか。そういう感覚って、マニュアルにはならんやん? でも隣で同じことをしとる身体を通じて、子どもは何かを受け取っとる。
市民農園で隣の区画のおじいちゃんが、うちにいろいろ教えてくれるときもそう。「こうやってな」って手を動かしながら見せてくれるだけで、細かい理屈は言わん。でもその手つきを真似するうちに、身体が覚えていく。うちもそうやって学んできたことを再認識した。
子どもに「ちゃんと教えなきゃ」って焦る日もある。言葉にして、説明して、理解させなきゃって。でも畑にいると、黙って並んで同じことをする時間が、実はいちばん濃い伝達になっとるんよね。
収穫したオクラを一緒に洗いながら、子どもがオクラの産毛を指でなぞって「ちくちくする」って笑った。うちがいつもやっとる動作を、そのまま真似しとった。言葉より先に、身体が知っとる。そういう瞬間に出会うたびに、畑での沈黙が怖くなくなる。
完璧に伝えようとせんでいいっちゃない? 隣にいて、同じ土に手を入れて、同じ風を感じとる。それだけで渡っていくものがある——かなって思うんよね。
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