身体が「秋だ」と知る、その瞬間のこと
実は、頭で「秋になった」と認識するより先に、身体のほうがちゃんと気づいてる。
久留米の朝、窓を開けた瞬間に鼻に届く空気の質が、夏とはっきり違う。
湿気の重さが消えて、かわりにどこかひんやりした輪郭のある風が入ってくる。
その感覚に、直感的に「あ、来た」と思う展開が今年もあった。
70年ぶんの秋を重ねてきても、この瞬間だけは毎回新鮮でおもしろい。
身体というのは正直で、記憶より先に季節を受け取ってしまうことに気づく。
そういう身体の感覚を、もう少しきちんと味わいたくて手が伸びるのが日本酒——とくに、ひやおろしだ。
ひやおろしは、春に搾った酒を夏の間蔵でゆっくり熟成させ、秋口に出荷する季節限定の日本酒のこと。
加熱処理が一度だけ(または一度もせず)という穏やかな仕上がりで、荒々しさが丸みに変わり、香りにも落ち着いた奥行きが出る。
まさに「季節をひと夏かけて身体に溜め込んだ酒」で、飲む側の身体感覚とぴったり共鳴する。
ひやおろしで「秋の輪郭」を確かめる体験
今年、地元の酒屋でかくうちしながら飲んだひやおろし、筑後の小さな蔵のものが純粋に刺さった。
口に含んだ瞬間、甘みより先にふわっと穀物の香りが来て、それから柔らかい旨味がじんわり広がる。
喉を通る時に、夏酒のキレキレな感じとは全然違う「重心の低い余韻」がある。
確かに、この感覚って外の空気と対応してるな——とそこで互いに気づき合う感じ、とでも言えばいいか。
身体が受け取った秋の空気と、口の中の酒の余韻が、同じトーンで鳴ってる瞬間。
一緒にいた常連のおじさんが「秋の酒はな、追いかけるより待つもんたい」と言ってて、その言葉がじわじわ沁みた。
創作のことで言えば、わたしも同人誌や文章を書く時に似た感覚を経験する。
無理やり季節を書こうとするより、自分の身体が受け取ったものを言葉にする方が、テキストに体温が宿る。
ひやおろしを飲みながらそのことを改めて認識し合う時間となった、今年の秋口の角打ちだった。
「感覚を受け止める」という創作のスタンスへ
秋の身体感覚を日本酒で確かめる、という行為は、実は創作の対話と同じ構造をしてると感じてる。
味覚・嗅覚・皮膚感覚——五感で受け取った経験を言語化する訓練として、季節の酒を丁寧に飲む時間はかなり有効だ。
わたしが長年エッセイやZINEで「酒と感覚」を書き続けてきたのも、そのおもしろさを知ってるから。
今年の秋テーマのZINEには、ひやおろしと身体感覚の話を一本書こうと決めている。
「感覚を受け止める、その先に言葉がある」という発見へ向かって、また筆を動かす展開になりそうで、純粋に楽しみだ。
季節が変わる瞬間、ちゃんと身体で受け取ってみてほしい。
そしてできれば、その夜に一杯——秋の酒を傍らに置いて。

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