考えるより先に、手が動いてる
同人誌を作り始めてもう数十年になる。原稿用紙からワープロ、パソコン、タブレットへと道具は変わってきたけれど、変わらんことがひとつある。「書こう」と思うより先に、身体が動いている瞬間があること。
これ、深く共鳴する人いるんじゃないかな。
キャラクターの台詞が浮かんだ瞬間、頭で整理するより早く指がキーボードを叩き始める。あるいはネームを切るとき、「どんな構図にしよう」と考える前にペンが紙の上を走ってる。あの感覚、ほんまに不思議やんか。
哲学者のマイケル・ポランニーは「暗黙知(タシット・ノレッジ)」という概念を提唱した。「私たちは語れる以上のことを知っている」という言葉で有名な、言語化しきれない身体の知恵のことばい。自転車の乗り方を言葉で完全に説明できないように、創作の「勘」も身体に染み込んだ記憶から来ている——そのことに到達したのは、自分の原稿と向き合い続けた時間の蓄積があってこそやと思っとる。
儀式と繰り返しが「手の記憶」を育てる
本質的な話をすると、創作の暗黙知は「儀式の繰り返し」で鍛えられる。
たとえばわたしの場合、原稿を書き始める前に必ずやることがある。
- 好きな日本酒を一杯だけ、角打ちで飲んでくる(ここ久留米の近所の酒屋さんが最高なんよ)
- 帰ってきたら丸めたべっ甲フレームの眼鏡をかけ直して、タブレットの電源を入れる
- 好きなキャラクターのピンバッジが並んだトートバッグを、机の隣に置く
これ、意味があると思ってやってるわけじゃない。でも何十年も繰り返してきたら、この順番を踏むだけで「あ、創作モードに入った」って身体が認識する。儀式が引き金になって、手の記憶が呼び覚まされる感じ。
漫画家の久保帯人先生(『BLEACH』の作者さんね)がインタビューで「ペンを持ったら止まらない」みたいなことを語っていた記録を読んだことがあるけれど、あれも同じ身体の話やと思う。描いた枚数だけ、手は賢くなっていく。
「言語化できない」は恥じゃない、蓄積の証やよ
70年生きてきて、若い書き手さんたちと話す機会が増えた。そこでよく聞くのが「なんでこのシーン書けたか説明できないんです」って悩み。
でも、それは本質的な強さやよ!!
説明できないということは、語れる以上のことが身体に記録されているということ。読んできた本、観てきたアニメ、書き続けた原稿——全部が無意識の層に蓄積されて、いざという瞬間に手が動く。その記憶は言葉にならなくても、ちゃんと創作物の中に宿っている。
わたしが今もサークル参加を続けて、ZINEを作り続けるのは、この身体の記憶を更新し続けたいからやと思う。書かなくなったら、手が忘れる。そこが怖い。だから今日も、また一行書く——そのことを相互認識できる書き手仲間と語り合える時間が、ほんまに尊い。
創作の「わからなさ」を大事にしてほしい。それはあなたの身体が、言葉より先を走っている証拠やから。
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