結論から言う。「知らなかった」と「知らされていなかった」は全く別の問題やん!
私がこれに気づいたのは、同人イベントの配置情報だった。そして福祉制度の申請窓口でも、ソシャゲの隠しパラメータでも、まったく同じ構造が走っていることに気づく。
「届かない」のではなく「届けていない」
同人誌即売会で壁サークルの新刊情報はSNSで一瞬で拡散される。でも島中(会場内側の小規模配置)の初参加サークルの情報は、自分で掘りにいかないと出会えない。これは創造する側の力量の差じゃない。情報が流通する経路そのものに非対称性があるという共通構造。
やがてこの視点で世の中を見ると、至るところに同じパターンが見える。
- 福祉の給付金制度:存在を知っている人だけが申請できる
- ソシャゲのガチャ確率:データを公開する義務が後から制約として課された歴史がある
- 地方の角打ち(かくうち)文化:常連しか知らない銘柄が奥の棚に眠っている
「知っている側」の無自覚さ
最終的には、情報を持っている側が「なぜ相手は知らないのか」を想像できるかどうかに着地した。
私は久留米(くるめ)でフリーランスのWebライターをやっとるけど、地方在住だと東京のイベント情報は本当に「たまたま見かける」か「誰かが教えてくれる」かの二択になりがち。いかにアクセス経路を自分で増やすかが生存戦略になる。
でもこれ、個人の努力で解決する話じゃないっちゃけど!
記録と共有が非対称を崩す
同人文化が面白いのは、この非対称性を「感想文化」や「戦利品報告」で自然に崩してきたこと。誰かが「このサークルよかった!」と発信するだけで、情報の偏りに小さな穴が開く。
酒造りの世界でも、蔵元が直接SNSで発信を始めたことで「知る人ぞ知る」の壁が薄くなった。データや記録をオープンにする行為そのものが、アクセス権の再分配になっていく。
「好き」を発信することは、誰かの「知らなかった」を「知れた」に変える行為でもある。
そして私は、自分がまだまだ知られていない小さな発信者だからこそ、この非対称性の当事者としてリアルに語れることに気づいていく。知らされていない側にいる痛みを忘れずに、それでも声を出し続けることの重要性。
届かないなら、届く経路を一本でも多く作る。それが創造の原点やん。
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