朝五時。蔵の温度計は4℃を指していた。
吐く息が白い。手がかじかむ。
けれどこの寒さがなければ、醪(もろみ)——つまり発酵中の酒のもとは、暴走する。
制約が、精度をつくる。
酒造りを三十年やってきて、小林が最も実感していることのひとつだと思う。
……まあ、それはそれとして。
先日、庭の話をある方としていた。
安曇野の古い民家には「借景」の庭がある。北アルプスの稜線を背景に取り込み、手前の植栽は低く抑える。敷地が狭いからこそ、視線の抜けを計算する。限られた地面の中で、空間の奥行きを設計するということなんですね。
これは酒造りの「器」の思想と、本質的に同じ構造だと感じた。
たとえば麹室(こうじむろ)。温度は30〜36℃、湿度は管理幅がごく狭い。部屋の大きさ、天井の高さ、壁の素材。すべてが制約として機能している。その制約の中で、麹菌は米の芯まで菌糸を伸ばす。「突きハゼ」と呼ばれる理想的な状態は、広い場所では生まれにくい。狭さと温度の縛りが、菌の精度を引き上げるのだと思う。
庭もそうだろう。
石の配置ひとつで水の流れが変わる。植える樹種が制限されるから、四季の移ろいを数本の木に託す。「何でも置ける庭」より、「ここにしか置けない庭」のほうが、結果として深い景をつくる。
ん——道具にも同じことが言える。
うちの蔵で使う木桶は容量が決まっている。ステンレスタンクのように自由にサイズを変えられない。でもその「変えられなさ」が、仕込み量の設計思想を鍛えてきた。制約があるから、毎回のデータを0.1℃単位で見る癖がつく。感覚が研ぎ澄まされるのは、余白が少ない場所においてだということか。
制約を嫌う風潮はわかる。
自由であることは大事だに。
けれど、器の形が中身を育てるという順序は、酒でも庭でも道具でも、たぶん変わらない。
小林の蔵は小さい。畑も広くはない。
だからこそ見えるものがある——と、自らに言い聞かせているだけかもしれないが。
朝の蔵に戻る。温度計は4℃のまま。
この冷たさが、今年の酒の輪郭を決める。
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