朝五時、蔵の麹室(こうじむろ)に入る。温度は32℃。湿度は肌で読む。
小林義昭は毎年この季節になると、自分の手のひらが微かに変わっていることに気づく。去年より関節がほんの少し硬い。蒸米を掴んだときの圧のかけ方が、ほんの数ミリずれている。
——直すべきだろうか。
ん——、若い頃なら迷わず矯正していた。身体のズレは即座に「修正すべきもの」だと思い込んでいた。けれど二十年以上この現場に立ち続けて、ひとつ浮かび上がることがある。身体の変化は、劣化だけではないということ。
たとえば醪(もろみ)の櫂入れ(かいいれ)——発酵中の液を棒で撹拌する作業がある。三十代の頃の力任せの一振りと、今の一振りは明らかに違う。速度は落ちた。だが、液面が返す抵抗の手触りを拾う精度は、むしろ上がっている。
まあ、それはそれとして。
庭仕事でも似たことを感じる。裏庭の山椒の剪定をしていて、鋏を握る角度が以前と変わっていた。枝への入り方が浅くなっている。最初は衰えだと思った。けれどその浅い角度のほうが、断面が滑らかで、樹への負担が少ないことに気づく。
身体が勝手に記録し、勝手に調整している。
制約のなかで最適な動きを探り当てる——それは酒造りの現場で職人たちが日々やっていることと同じ構造だと、小林義昭は考えている。水の硬度が年ごとに揺れる。米の溶け方も毎年違う。「去年と同じ」は存在しない。だから「ズレ」を敵視せず、まず観察する。
直す前に、なぜそうなったかを聴く。
大事なのは、ズレを放置することではない。判断を保留する時間を持つことの大切さについて、四十八年かけてようやく腑に落ちてきた気がする。
安曇野はもう朝晩が冷える。庭の土を踏む足裏の感覚も、下駄越しに少し硬い。それもまた、季節が身体に書き込んだ記録なのだろう。
——今年の仕込みも、この手で確かめるしかない。
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