手を動かしはじめた瞬間、時間が消える
ねーねー聞いて。先週ね、レジンアクセサリーを作りはじめたら気づいたら夜の11時になっとったんだよね。えーっ、マジ!?って自分でびっくりしたよ。
夕方5時に「ちょっとだけやろ」って作業台に座ったのに。晩ごはんも忘れてた。笑
これ、ものづくりあるあるだと思うんだけど。還暦になってからむしろ強くなった気がするんだよね、このゾーンに入る感覚。
若いころはね、あれこれ気になっちゃって——「洗濯物たたまなきゃ」とか「明日の予定どうだっけ」とか——頭がいろんな方向に飛んでいったんだよね。でも今は違う。手が動きはじめたら、すうっと余計なことが消えていくんだ。
友だちのまき子さんも「ひなたってほんとに作業中は別人みたいだよね」って言うもん。うん、自分でもそう思う。素材を触ってる時間だけ、なんか「今ここにいる」って感覚がぐわっと濃くなるんだよね。
「完璧に仕上げなきゃ」をやめたら、もっと楽しくなった
正直に言うとね、50代のうちはまだ「うまく作らなきゃ」って気持ちがどっかあったんだよ。陶芸教室で先生に見せるとき、なんかちょっと緊張してたもん。
でも還暦すぎてから、すぱっと吹っ切れたの。
たとえばこのあいだ作ったレジンのブローチ。気泡がふたつ入っちゃってね、あ〜失敗やん!って一瞬思ったんだけど——よく見たら小さな泡がキラキラしてて、むしろかわいいじゃん!ってなって。友だちに渡したら「これ気泡まで計算したの!?」って言われたよ。笑
失敗をどう読むか。そこが60年生きてきてやっとわかった「ものづくりの極意」のひとつだと思う。
手を動かして、失敗して、「あ、これはこれで面白い」って受け取れるようになったとき、ものづくりは一気に自由になるんだよね。うまくやろうとする力みがなくなると、逆に手がのびのび動くようになるから不思議だわ。
ものづくり仲間のワークショップでも、参加してくれた若い子に「失敗していいんですか?」って聞かれたとき、「失敗のほうが話のネタになって最高だよ!」って言えるようになったのも、自分が何十回も盛大に失敗してきたおかげだと思ってる。
「夢中」のタネは、じぶんの手の届く範囲にある
庭でね、今年の春にミントとバジルを植えたんだよ。もともとは料理に使おうかなくらいの気持ちで。
でもある朝、葉っぱを摘んでいたら「あ、この葉脈の形、押し花にしたら面白くない?」ってひらめいちゃって。そこからレジンに閉じ込めるアイデアが生まれて、今はそれがワークショップの新しいメニューになっとる。
こういう「日常のちいさな気づき」がものづくりのタネになるんだよね。
特別な材料じゃなくていい。どこか遠くに探しに行かなくていい。庭の草でも、拾った石でも、くたびれた布の切れ端でも——「これ、何かに使えるんじゃない?」ってキョロキョロする癖がついてくると、毎日がちょっとワクワクするんだ。
還暦からものづくりをはじめようとしてる人に、まず伝えたいのはこれだよ。道具より先に、「面白そう」って言える自分の感覚を信じてほしいんだよね。
体が疲れても「手の記憶」は残る
ここだけの話ね、最近は作業のあとに指がこわばるんだよ。昔は何時間やってもへっちゃらやったのに。関節も太くなってきたし、目も疲れやすいし——そこは素直に認めるようになった。
でもね、それよりずっと大事なことに気づいたんだ。
疲れた夜に、昼間自分が作ったものをぼーっと眺めてるとき。「あ、今日ここ工夫したんだよな」ってじわっと思い出す感覚がある。手が覚えてるんだよね、作った瞬間のことを。
体は疲れても、手の記憶は消えない。それがものづくりを続けてきた一番の財産だと思う。
作業時間は昔より短くなったし、途中で休憩もはさむようになった。でも30分でも手を動かした日は、なんか「今日も生きたな」って感じがするんだよね。大げさかな。笑
無理なく続く形を見つけること——これも、60年生きてきてやっとわかってきたこと。還暦はゴールじゃなくて、もっと自分に正直なやり方を選べるスタートラインだよ、きっと。
作ったものを誰かに渡すとき、手の温度が伝わる
一宮の七夕まつりのときにね、自分で作ったレジンのかんざしを友人に渡したの。「似合うと思って」って。
そしたらその子、ちょっと目が潤んで「ひなたが作ってくれたから特別」って言ってくれて。
その瞬間ね、どんなにしんどい作業も全部ペイされる気がするんだよ。自分の手の温度がそこに残ってる——そう思ったら、また次を作りたくなる。
夢中になって体が溶けるくらいものづくりに入り込める時間があること。失敗を笑えること。作ったものを誰かに渡せること。
還暦を超えて、この三つがあれば十分だって、ほんとうにそう思うよ。
さあ、今夜も作業台に向かおう!!

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