秋の空気って、言葉より先に身体が知ってるよね

朝、庭に出たら身体が先に気づいた

今朝ね、庭に水やりに出たら、空気がぜんぜん違ったんだよね。

長崎ママ

長崎生まれ長崎育ち、70歳の今も変わらず明るくエネルギッシュな女性。街を歩けば誰にでも声をかけ、スーパーのレジでも病院の待合室でも気づけば隣の人と盛り上がって…

夏のあのねっとりした重さがなくて、すーっと鼻の奥まで入ってくる感じ。うちの身体が「あ、秋だ」って言語化する前に、もうそれを知っとった。

そこだ、って思った。

頭で「秋が来た」って分かるより先に、身体が感じ取っとる。この感覚、大事にしたいよね。庭の金木犀のつぼみも、まだ咲いとらんとに、なんかそこだけ空気が甘い気がして。マジで不思議じゃない?

孫たちに何を伝えられるか、ふと考えた

それでなんとなく、むすめのとこの孫のこと考えたんだよね。

小さな子どもって、言葉で教えなくても感じることができるやん。うちが庭でしゃがんで土触ったり、空見上げたりしてたら、なんとなく横に来て一緒にしゃがむんだよね。何も言わんのに。

言葉では伝わらない、っていうか、言葉にしなくてもいい何かがある気がする。

一緒に秋の空気を吸って、一緒に「なんか涼しかね」って顔を見合わせる、それだけで十分共感できとる。うちらって、つい「これは〇〇だよ」って教えたがるけど、そうじゃなくて、ただ隣で同じものを感じる時間のほうが、もしかしてずっと大事なんじゃないかな。

あなたたちは、子どもと一緒にただ「感じる」だけの時間、最近とれてる?

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身体で覚えることって、一生消えんよね

うちが長崎で育って、70年近く生きてきて思うのはさ。

頭で覚えたことはどんどん忘れるのに、身体で感じたことって消えんよね。

子どもの頃に父ちゃんと登った山の、頂上の風の冷たさ。おっとと初めてキャンプした夜の、たきびの煙の匂い。こういうのって、言葉で説明されたわけじゃないのに、今でもありありと蘇る。

だから庭でひとり、秋の空気に気づいたこの朝みたいな時間を、孫たちと一緒に積み重ねたい。行ってみらんば分からんやろ、じゃないけど、感じてみらんば分からんことって、世の中にたくさんあるよね。

言葉より身体が先、っていうこと、改めて大切にしたいなって気づいた朝だった。

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