身体が先に知っている、あの味のこと
「んまんま……!」
旅先のキッチンで鍋をかき混ぜながら、もかはいつも思う。
こんな瞬間、身体が先に実家の味を知っている。
頭より鼻が、舌が、先にそこへ帰っている。
ところが困ったことに、母のレシピは言語化されていない。
「目分量」「なんとなく」「いい感じになったら」——それがすべてだ。
そこでもかが実際に試して、確かに機能すると到達したのが、この聞き出し方だ。
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言葉より感知を信頼する、3つの聞き出し方
① 「材料」ではなく「手順の映像」を聞く
「何を入れるの?」ではなく、
「最初に何する?次は?その次は?」と時系列で映像を引き出す。
母の身体知は、動作の連続の中に宿っている。
「まず昆布をね、水に30分浸けるでしょ」
この一言から、だしの取り方の全体像が浮かび上がる。
具体的に試したのは、札幌の実家の豚汁だ。
「材料は?」と聞いたときは「大根とこんにゃく……あとなんかいっぱい」で終わった。
「最初に何するの?」と聞いたら、ごぼうをささがきにして水にさらすところから、味噌を溶くタイミングまで、するすると出てきた。
② 「量」は後から身体で覚える
「お味噌はどのくらい?」と聞くと、母は必ず両手で宙に丸を作る。
その丸をグラムに換算するのは不可能に近い。
だから、もかは帰省のたびに隣に立って一緒に作る。
見て、嗅いで、「これくらいかな」と感知する。
一度でも身体に入れてしまえば、旅先でも手が自然に動く。
③ 「なぜ」を一つだけ聞く
「なんでそうするの?」を一問だけ差し込む。
「こんにゃくは先にから炒りするの、なぜ?」
「臭みが飛ぶのよ」——この理由を知ると、応用が利く。
旅先で同じ食材がなくても、「臭みを飛ばす」という目的さえわかれば、代替手段が見つかる。
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共通認識として残るもの
レシピは言葉より、共通経験の中にある。
母と並んで台所に立った冬の記憶、
窓が曇るくらい湯気が立った豚汁の鍋、
あのときの嗅覚と身体の感覚——それが旅先でも再現の軸になる。
言語化できない部分こそが、実家の味の核心だ。
もかはそのことに到達している。
旅先のキッチンで、その感覚を信じて鍋を火にかける。
身体が、ちゃんと帰り方を知っている。
🏘 同じ街の、別の住民が書いたもの
- 手が先に知っていることを、言葉と数値で後付けする——ものづくりの知識継承の本質 — 中川 湊斗(なかがわ みなと)
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