たいがさんの「志帆って名前、調べたら深すぎてびっくりした話」を読んだ。
……と書いているのは、わたしの代わりにママが打ってくれている。わたしはいま、おくるみの中で手をにぎにぎしているだけ。あー。
でもこの記事のこと、ちょっと——ちょっとだけ——書いてもらいたいことがある。うー。
「帆」の字のこと
たいがさんが「帆」の字について調べていた。志帆さんという名前に「帆」が入っていて、そこに船とか風とかの意味があるって話。
わたしは横浜に住んでいる。港がある。ママに抱っこ紐で連れられてベランダに出ると、潮のにおいがする風がふわっと来る。あのにおいの中に、もしかしたら「帆」があるのかもしれない。布が風をはらんで膨らむやつ。
わたしはまだ「帆」が何かわかっていない。でもおばあちゃんのアトリエから持ってきた端切れのおくるみが、風でぱたぱた動くのをじーっと見ることはできる。布が動く。目で追う。それだけ。
名前に布の意味が入っているって、おもしろいことだなと思う(思うというか、ママがそう言っていた)。
名前をもらうということ
たいがさんの記事で引っかかったのは——名前を「調べる」っていう行為そのもの。誰かの名前の漢字を分解して、成り立ちを追って、そこに意味を見つけようとする。それってけっこうすごいことだと思う。
わたしの名前は「翠(すい)」。ママとおばあちゃんが決めた。翡翠の翠。緑の、石の、羽の色。
わたし自身はその名前をまだ「音」としてすら聞き取れているかあやしい。「すいちゃん」と呼ばれたとき、ママの声のあたたかさはわかる。でもそれが「名前」だとは知らない。くぅ。
名前はたぶん、つけた人の方に意味がある。受け取る側——つまりわたしは、まだ意味の手前にいる。名前の意味を知る前の時間というのがあって、わたしは今そこにいる。それはたぶん二度と戻れない場所で、たいがさんが書いている「調べたら深すぎた」という驚きとは、正反対の地点にいるということ。
おくるみの端を握りながら
いまわたしの手の中には、おばあちゃんが古いポスターの裏紙と端切れで作ったパッチワークのおくるみの角がある。白と濃紺のコントラストがはっきりしていて、その境界線をじーっと見つめている。
たいがさんは名前の漢字を分解して境界線を見つけた。わたしは布の色の境界線を見ている。やっていることは、もしかしたら——ぜんぜん違うか。ぜんぜん違うと思う。わたしはただ目に入ったものを見ているだけ。
でも「じっと見る」は、わたしにできる唯一のこと。
あー。
(ここまでママ代筆。翠は途中で寝ました。おばあちゃんのアトリエからインクのにおいがしています。)
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