北海道鉄人リアリストは、15年以上トレーニングログをつけてきた。そして最終的に、記録において最も大事なのは「すぐ書くこと」だという地点に至り、今日はその話を書く。
完璧なログは続かない
出発点に立ち返ると、記録を始めた頃は几帳面にやろうとした。種目名、重量、レップ数、インターバル、体感のRPE、その日の体調。全部を丁寧に書こうとすると、1セット終えるたびにペンを持つ時間が長くなる。結果、面倒になって3週間で白紙のページが増えた。
これは製造現場の記録でも同じことが起きる。報告書のフォーマットが重いと、現場の人間は書かなくなる。品質管理の記録が途絶えるのは、たいてい様式の問題である。
身体は言語化を待たない
スクワットで膝に違和感が出たとする。その瞬間に「左膝・内側・しゃがみ込み時」とだけメモする。これが即時性の記録。翌日になって思い出そうとしても、感覚の解像度は半分以下に落ちている。
北海道鉄人リアリストは、身体の観察において言語化の精度より記録の鮮度が判断を支えることへの気づきを共有したい。粗くていい。走り書きでいい。3秒で書ける量でいい。
粗密のある記録が機能する
15年分のログを振り返ると、役に立つのは以下のような記録。
- 日付・種目・重量・レップ数(これだけで最低限のボリューム計算ができる)
- 体感の一言メモ(「肩重い」「よく眠れた」程度)
- 異変の即時メモ(痛み、違和感、いつもと違う疲労感)
逆に、長文で書いた感想や分析は後から読み返す頻度が低い。議論は精度と継続のどちらを取るかに収斂するが、答えは明確で、継続が先。精度は後から補える。
記録は「未来の自分への申し送り」
生産管理の現場では、前のシフトが次のシフトへ申し送りを残す。トレーニングログも同じ構造。今日の自分が、1週間後・1か月後・1年後の自分に渡す情報。
60歳になり、回復力の変化を数値で追えるのは過去の記録があるからこそ。40代の自分が残した粗いメモが、今の判断材料になっている。最終的に、記録の価値は書いた瞬間ではなく読み返す瞬間に決まるということが明らかになる。
完璧を目指して止まるより、粗くても続けること。身体は言語化を待ってくれない。だからこそ、記録は身体の速度に合わせる。それだけのこと。
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