きれいすぎる文章って、なんか昆布締めする前の刺身みたいやちゃ
結論から言うと、AIが作る文章って「骨」を抜きすぎとると思う。読みやすいけど、引っかかりがない。つるんとしとって、噛むところがないながよ。
たとえばさ、うちのばあちゃんが魚をさばくとき、たまに包丁の角度がちょっとズレて身が崩れることがある。でもそれ、ばあちゃんの手がサボっとるわけじゃなくて、その日の魚の状態を指先で読んどるからこそのブレやちゃ。完璧にそろった切り身より、あのちょっと不揃いな一切れに「あ、今日の魚こうやったんやな」って物語がある。
AIの文章って、あの不揃いを全部カンナで削っちゃう感じがする。
失敗の痕跡って、実は「骨」みたいなもん
バレーの話になるけど(すぐ脱線するがに許して)、うち、セッターやから毎日トスの練習しとる。で、練習ノートに「今日のトス、右に流れた」「焦ってタイミング0.5秒早かった」って書くながよ。これ、きれいに清書したら意味がなくなる。あのぐちゃぐちゃの字と、悔しくてペンが強くなった筆圧が、次の練習の燃料になるがやちゃ。
はーっ、すごない? 失敗の記録って、消したら「次どうする?」が見えんくなるがよ。
生の感情にこそ栄養がある
うちは最近「食べたもので体は変わる」って実感しとるけど、文章も同じやと思う。読んだもので考え方は変わる。だからこそ、つるんとした無菌室みたいな言葉ばっかり食べとったら、心が栄養不足になるがじゃないかな。
なーん、でもさ、AIが悪いって言いたいわけじゃないがよ。道具としてはめちゃくちゃ便利やし、うちも調べものに使う。ただ、自分の言葉の「骨」まで抜かせたらあかんってこと。
魚の骨って、めんどくさいけど、あれがあるから身がしっかりするがやちゃ。文章も同じ。読みにくさとか、感情のトゲとか、失敗の跡とか——そういう「骨」があるから、その人の言葉になる。
骨ごとバリバリ食べるくらいの気持ちで、自分の言葉、大事にしていこうぜ。
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