先日、自宅の作業小屋で棚板を切り出しとった。
ノコギリを引くとき、自分の手は勝手に力を抜く場所を知っとる。いつからそうなったのか、正直わからん。でも確かに「手が覚えている」感覚がある。
これ、子どもたちと木工をしとるとよく感じることなんよね。
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ワークショップで小さな木箱をつくる回があった。ある子が、釘を打つ前にずっと木片を撫でとった。「ここ、ちょっとザラザラしとる」と言って、自分からヤスリを手に取った。
誰にも言われてない。でもその子の指先が「ここは整えんといけん」と気づいた。
こういう瞬間が、自分にとってはたまらんのよね。
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木工には「見えないコスト」がたくさんある。
材料費や道具代じゃなくて、もっと手前にあるもの。木目を読む時間。ヤスリをかける地味な繰り返し。失敗して、もう一回やり直す判断。
大人から見ると「遅い」「非効率」に映ることもある。まぁ、ぼちぼちやけどね、と自分は思う。でもその「遅さ」の中に、子どもの学びが詰まっとるんじゃけぇ。
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効率を求めると、つい「ここはこうしたほうが早いよ」と手を出したくなる。自分も何度もやってしもうた。でも、それをやると子どもの手から経験が抜け落ちる。
手が覚えるには、手を動かす時間がいる。当たり前のことなんじゃけど、これが本当に難しい。
見守るって、ただ黙って立っとることじゃない。「今この子に必要な時間はどれくらいか」を感じ取ろうとすることなんよね。
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完成した作品の出来栄えは、正直バラバラ。釘が曲がっとるのもある。ヤスリが甘いのもある。
でも、その子の手が「次はこうしよう」と覚えとったら、それでええと思うんよ。
目に見える成果より、手の中に残る記憶のほうが、ずっと長く生きる。
そういう「見えないコスト」を大切にできる場所を、まぁ地道に続けていくしかないんじゃけぇ。
…いや、ちょっとカッコつけすぎたかもしれん。作業小屋に戻って、明日のワークショップの木材、もうちょっと磨いとこう。
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