きっかけは、作業小屋の裏の小さな畑
うちの作業小屋の裏に、2畳ほどの小さな畑がある。もともとは亡くなったおふくろが薬味用のネギやシソを植えとった場所で、正直なところ、僕は何年もほったらかしにしとった。
この春、ワークショップに来てくれとる子が「ここ、なんか生えとるよ」と指さした先に、ミツバが群生しとったんよね。おふくろが植えた覚えはないけど、たぶん何年も前にこぼれた種が、土の中でずっと生きとったんじゃろう。
それを見たとき、ちょっと胸がつまった。
「なんでここに植えたん?」に答えられない
子どもに聞かれて気づいたんじゃけど、おふくろがなぜあの場所にネギを植えたのか、僕は知らん。日当たりなのか、水はけなのか、台所から近いからなのか。たぶん全部じゃろうけど、その「たぶん」しか残っとらん。
庭や畑って、図面があるわけじゃない。「ここにはこれを植える」という判断の裏に、何年もかけて観察した日の当たり方とか、風の通り道とか、土の癖みたいなものがある。それは言葉にしにくい。設計思想というと大げさじゃけど、まさにそういうものよね。
子どもと「場の記憶」を掘り起こす
それで、ワークショップのひとつとして、小さな庭づくりを始めてみた。といっても大したことはしとらん。子どもと一緒に「ここは朝だけ日が当たるね」「雨の日、水がこっちに流れよった」と観察して、木の札に書いて地面に刺していくだけ。
おもしろいのは、子どもの方が気づくのが早いこと。「先生、この石のとこだけ苔が濃いよ」とか、大人が見落とすようなことを拾ってくる。
この観察の積み重ねが、いつか「なぜここに植えたのか」を説明できる記録になる。図面じゃなく、場所に紐づいた小さな言葉の集まりとして。
「物」に思想を宿す
もうひとつやっとるのが、畑の縁に置くベンチや道具箱を子どもと一緒に作ること。「ここに座ったら畑全体が見える高さ」とか、「じょうろを置く棚は水場の近くがええね」とか、使う場面を想像しながら作る。
完成した物には、作った子の観察メモを焼きペンで入れる。『ここは午後から影になる』とか、そういう一言。何年か経って別の誰かがそれを読んだとき、この場所の「見えない営み」が少しだけ伝わるんじゃないかなと思っとる。
まぁ、ぼちぼちやけどね
正直、まだ始めたばかりで形にはなっとらん。でも、おふくろのミツバが教えてくれたのは、「残す」ということは必ずしも言葉や図面じゃなくてもええということ。場に根づいた物と、そこに込めた小さな判断の痕跡。それだけでも、次の誰かへの手がかりにはなる。
子どもと一緒にそれをやれるのは、ええね、それ、と素直に思えることのひとつです。
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