まぁず、技というのは、頭で学ぶものじゃない。
漆を塗る手は、言葉より先に動く。刷毛が塗膜の表面を捉える瞬間の抵抗感、湿度が微妙に変わったときの空気の重さ、漆が「のってきた」と感じるあの手応え——それは説明書には書けないし、動画でも映らない。
工房に若い人を迎えるたびに、佐々木凜はここで壁にぶつかる。
言葉にできないことを、どう渡すか。
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「なんでそこで止めたんですか」
先月、移住してきた20代の男の子がそう聞いてきた。中塗りのとき、刷毛を引く動きを途中で止めた。本人には無意識だったのに、彼の目はちゃんとその「止め」を見ていた。
まぁず、見ているんだなと思って、ちょっと嬉しかった。
「気流が変わったから」と答えたけど、正確には違う。窓の外の木の揺れ方と、空気が皮膚に触れる温度が、手に「今じゃない」と教えた。頭で判断したんじゃなくて、身体が先に止まった。
これが「手の記憶」の正体だと思っている。
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言葉にする、という修行
手の記憶を渡すために、佐々木凜がここ数年続けていることがある。塗りながら、声に出す。
「今、刷毛が重い」「湿度が上がってきてる」「ここで一呼吸置く」——独り言みたいに。
弓道で言えば、射の前に自分の呼吸を確認する動作に近い。意識を言語化することで、無意識を少しだけ可視化する。完全には無理でも、断片を渡せることに気づく。
蓄積した身体の対話を、言葉という器に少しずつ移していく作業。それが今の自分に課された仕事だと感じている。
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祖父は何も言わなかった
105歳の祖父は、技術をほとんど言葉で教えなかった。ただそこにいて、塗って、たまに首を傾げた。その首の傾け方が、何より雄弁だった。
佐々木凜はそれを30年かけて読み取ってきた。
でも次の世代に、同じ時間はない。だから言葉にする。言葉は不完全だけれど、何もないよりずっと、手が動き出す手がかりになる。
伝統を次世代へ渡すことは、言葉と身体の両方を使うことに繋がる。
一射、だいじにね。
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