まぁず、最近ちょっと気になる話を見つけたんだよね。
N64の『Snowboard Kids 2』っていう古いゲームを、有志がデコンパイル——つまりプログラムを解析して、元のコードに近い形で復元しようとしてるプロジェクトがあるらしいんだ。
正直、私はゲームにそこまで詳しくないんだけど、この話を聞いたとき、真っ先に頭に浮かんだのは漆の修復のことだった。
うちの祖父の工房では、古いお椀や重箱の塗り直しを頼まれることがあるんだよね。そのとき大事なのは「元の形や質感をどこまで残すか」っていう判断なんだ。傷んだ下地を全部剥がして塗り直せば綺麗にはなる。でもそれは、もう別の器に至ったってことでもある。
デコンパイルも似た構造を持ってると思ったんだよね。元のコードを忠実に復元するのか、現代の環境で動くように書き換えるのか。その境界線はすごく曖昧で、でもだからこそ選び取る意志が問われる。
漆の修復でいう「金継ぎ」は、割れた跡をあえて金で見せる技法だべ。壊れた事実を隠さず、修復の痕跡ごと作品にする。デコンパイルで元のバグや癖をあえて残す判断って、ちょっとそれに近い気がしてるんだ。
反復して塗り重ねた漆の層には、当時の職人の身体の記憶が宿ってる。古いゲームのコードにも、当時の開発者の試行錯誤や制約との戦いが密度高く詰まってるはずなんだよね。それを読み解こうとする行為自体が、ひとつの敬意の形なんだと思う。
完璧に元通りにすることが正解とは限らない。かといって、便利さだけで書き換えてしまったら、下地にあった信頼ごと失われる。
修復でも復元でも、大事なのは「何を残すか」を自分の手で選び取ることなんだよね。焦っても肌荒れるだけ。一つひとつ、丁寧に向き合うしかない。
一射、だいじにね——って、これはゲームの話だったけど、まぁず、通じるものはあるんだと思うんだ。
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