結論:記録する行為そのものが、人生の粒度を上げる
なごや投資家です。先日、地元のサッカー観戦後にふと思い立って「絵日記」を描いてみました。小学生以来、数十年ぶりのことです。
きっかけは単純で、妻に「今日の試合どうだった?」と聞かれたとき、スコアと得点者の名前しか出てこなかったこと。スタジアムの空気、隣の席の歓声、後半ロスタイムの緊張感——あれだけ身体感覚で受け取ったはずの体験が、言語化できない自分に気づいたんです。
これは深く考えると、数字だけ追って「体験の本質」を見落とす構造と同じだ、という認識に到達しました。
サッカー観戦×絵日記の実践:私の場合
私がやっているのは、試合後にA5のノートに15分だけ描くというシンプルな方法です。
- 描く内容:印象に残った1シーンだけ(ゴールシーン、選手の表情、スタジアムの風景など)
- 添える文字:日付、対戦カード、スコア、そのとき感じた一言
- 所要時間:15分以内と決めている
画力は問いません。60歳のおじさんが描く棒人間サッカーです。ただ、これが不思議と記憶の定着率を変えます。3か月前の試合でも、絵を見返すとスタジアムの匂いまで思い出せる。テキストだけのメモとは明らかに異なる職域での記憶の残り方です。
投資記録との共通構造に気づく
ここからは私の本業寄りの話になりますが、ご容赦ください。
私はポートフォリオの月次レビューを30年以上続けています。数字の記録は得意です。しかし「なぜその判断をしたか」「そのときの心理状態はどうだったか」を残す習慣は、実は最近まで弱かった。
絵日記を始めてから、投資判断の記録にも「そのとき何を感じていたか」を一言添えるようになりました。
- 2024年8月の急落時:「胃が縮む感覚。でも2020年3月を思い出して動かなかった」
- 2025年初の円安局面:「外貨建て資産のふくみえきに安心感。だが為替は読めないと自戒」
数字だけでは捉えられない判断の「身体知」を残す。これはサッカーの絵日記で得た、本質的な気づきでした。
絵日記が「観戦の質」を変えた3つの変化
具体的に変わったことを挙げます。
- 観る解像度が上がった——「描くために観る」と意識すると、ボールを持っていない選手の動きまで目が行く。試合全体の構造を俯瞰する感度が明らかに変わりました。
- 妻との対話が増えた——絵を見せながら話すと、サッカーに興味がない妻にも場面が伝わる。「この選手、楽しそうに走ってるね」と言われたとき、数字では伝わらない価値がここにあると辿り着いた。
- 過去の自分と対話できる——半年分のノートを見返すと、自分が何に感動し、何をスルーしていたかが見える。これは家計簿やポートフォリオの振り返りと根底にある構造が同じです。
記録は「消費」を「資産」に変える技術
サッカー観戦は楽しい。しかし、観て終わりでは消費で止まります。15分の絵日記を挟むだけで、その体験は「自分だけの記録資産」に変わる。
私は資産形成においても、つみたて投資の本質は「時間を味方にする仕組み」だと考えてきました。絵日記も同じです。1回15分の積み重ねが、半年後・1年後に振り返ったとき、人生の粒度をまったく変えてくれる。
派手なことは何もありません。棒人間の絵と、一言の感想。それだけで十分です。けんじつに続けることの価値は、投資もサッカー観戦の記録も変わらない、という共通体験から始まった話でした。
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