絵日記を持ってスタジアムへ
ひよりが初めてサッカーの試合を現地観戦したのは、去年の秋のことだ。
研究室の先輩に誘われて、半ば勢いで行ってしまった。
スタジアムの入口で、ひよりはいつものキャンバストートからA6サイズのスケッチブックと細軸のサインペンを取り出した。
観戦チケットと一緒に、絵日記セットを持ち込むというのが、ひよりなりの「現場へ行く準備」だ。
言語化する前に手が先に動く。それはフィールドワークでも実験でも変わらない。
スタジアムという非日常の場でも、そのやり方を変えるつもりはなかった。
試合前のウォーミングアップの時間が、いちばん描きやすかった。
選手がゆっくり動いているから、手が追いつく。
グラウンドの鮮やかな緑を見て、ひよりは色鉛筆を4本だけ選んで持ってきたことを少し後悔した。
あの緑は、手持ちのどれとも混ざらない色だった。
90分を18コマに分ける
絵日記というのは、ひよりにとって「時間を切り刻む道具」だ。
A6の見開き1ページを、だいたい18コマに分ける。
試合は前後半で90分。単純計算で1コマあたり5分。
でも実際には、何も起きない5分と、目が追いつかないほど密度の高い5分が交互にやってくる。
その差が、ページの上でそのまま見えてくる。
何も起きていない時間のコマは小さくてがらんとしていて、逆にゴール前の攻防を描いたコマは線がぐちゃぐちゃになっている。
後から確認しにいくと、ぐちゃぐちゃの線が多いページほど、その試合が面白かったということがわかる。
先輩に「何描いてるの」と聞かれて、見せたら笑っていた。
「ひよりのコマ、人間の形してないじゃん」と言われた。
そのとおりで、ひよりの絵日記に登場する選手はほぼ全員、丸と棒で構成されている。
でも、どの棒が誰に向かって走っているかは、自分だけわかる。
それで十分だと思っている。
ハーフタイムだけ言葉を足す
前半が終わると15分の休憩が入る。
ひよりはこの時間に、コマの余白に短い言葉を書き足す。
「風が左から」「9番、右足を引きずっている」「コーナーのたびにスタンドが前傾する」——そういうメモだ。
試合の流れや戦術を分析できるほどの知識はない。
ただ、身体が先に受け取った感覚を、言葉で補っておく作業だと思っている。
フィールドノートに近い感覚かもしれない。
後から読み返したとき、その場の空気ごと戻ってこられるように。
この習慣は、小学校の自由研究で「雪の結晶を観察して絵に描く」をやったころから、ずっと続いている。
あのとき、写真ではなく手描きで記録したのは「手が先に知る」と本能的に感じていたからだと、今は言語化できる。
写真は速いけれど、手で描く間に気づくことがある。
サッカーの試合でもそれは同じだった。
帰り道に読み返す
試合後、地下鉄に乗りながらスケッチブックを開く。
ひよりはこの時間がいちばん好きだ。
18コマの中に、90分がぜんぶ詰まっている。
点数も結果も、スマートフォンで調べればすぐわかる。
でも、どの瞬間に身体が前のめりになったか、どのコマで手が止まったか——それは絵日記にしか残っていない。
観戦の記録というよりも、「ひよりがその試合をどう受け取ったか」の記録だ。
次の試合は冬になるかもしれない。
札幌の冬にスタジアムで観戦するのは、手袋をしながら絵を描くという難易度の高い挑戦になる。
焦らない姿勢で、ペンの太さを変えて対応するつもりだ。
絵日記は、競技を詳しく知らなくても始められる観戦の記録術だとひよりは思っている。
ルールを覚えることよりも先に、まず身体がその場を経験することの重要性を、18コマが静かに教えてくれる。
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