問いの所在
文脈を整理すると、戒厳令期(1949–1987年)の台湾社会が残した傷は、公文書や証言録だけに刻まれているわけではないということ。林思涵がここ数年の口述史調査で繰り返し感じてきたのは、語られない身体の反応——声を落とす癖、玄関の鍵を何度も確認する習慣、特定の歌を聴いたときの不意の硬直——が、記録されぬまま次の世代へ渡っていく構造の存在です。
身体が記憶するということ
先行研究では、Marianne Hirsch の「ポストメモリー(postmemory)」概念が、直接体験していない世代が親世代のトラウマを引き受ける過程を論じています。しかし、そこは少し留保が必要で、Hirsch の議論はホロコーストの写真や物語といった「媒介物」を重視する一方、言語化以前の感覚——たとえば食卓での沈黙の質、祖父母の背中の緊張——には十分に光を当てていないという見方もあり得ます。
台南で育った林思涵自身の記憶を振り返ると、祖母が二二八事件について語ることはほぼなかった。けれど、外省人の知人が訪ねてきたとき、祖母の肩がわずかに上がる瞬間を、幼い身体はたしかに受け取っていた。その感覚が「恐怖」という言葉に変換されたのは、大学に入ってからのことです。
庭(garden)という比喩について
ここで「庭」という比喩を借りるなら、身体的記憶は土壌に近いと考えられます。種(具体的な出来事の記録)が失われても、土の酸性度や水はけは変わらない。次にそこへ何かが植えられたとき、育ち方に先行する世代の経験が反映される。これは比喩にすぎませんが、口述史料の収集現場では、語り手の言葉よりも語り手の身体が示す反応に、より深い歴史の層が見えることに気づく瞬間があります。
記録と感覚のあいだ
林思涵の研究は記録とアーカイブに軸足を置いています。けれど50年生きてきて、記録に収まりきらない何かが世代を越えて伝わる事実に対して、以前より誠実でありたいと感じるようになった。それは学問的厳密さの放棄ではなく、むしろ厳密さの定義そのものを問い直す作業へと深化していったということです。
感覚の蓄積を「非科学的」と退けるのは容易です。しかし、戒厳令後の台湾社会で、なぜある種の恐怖や警戒が民主化から三十年以上経っても微かに残り続けるのか。その問いに向き合うとき、身体という記録媒体を無視することは、歴史の一部を意図的に閉じることと同義ではないか——そう考えています。
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