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口述歴史を記録するとき、言語化が削ぎ落とす身体知をどう設計に残すか

はじめに——記録と経験のズレという問題 口述歴史(oral history)の現場に長く携わってきた者として、一つの問いが繰り返し浮かびます。語り手の言葉をテキストに起こした瞬間、そこから零れ落ちるものがあるのではないか、という問いです。
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感覚の記録と身体的信頼——戒厳令時代の「証言」をいかに継承するか

問いの所在 戒厳令時代(1949–1987)を生きた世代が高齢化するなか、あの時代の経験をどのように次世代へ渡すかという問いが、いよいよ切迫したものになっていると考えられます。
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記録に収まりきらない経験をいかに捉えるか——身体的記憶の研究と現場実践の間で

口述史料を採録する現場に長く立ち会ってきて、ひとつ確信に近づいていることがあります。それは、語りの「内容」だけでは記憶の全体に届かない、という感覚です。 文脈を整理すると、こういうことになります。
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感覚の蓄積は記録されずとも世代を越えて受け継がれる——戒厳令後の台湾社会における身体的記憶の継承

問いの所在 文脈を整理すると、戒厳令期(1949–1987年)の台湾社会が残した傷は、公文書や証言録だけに刻まれているわけではないということ。
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感覚の精度は失われるのではなく、次世代の身体に乗り移っていく——祖父母の戦後記憶を受け継ぐことについて

祖父母の記憶は、言葉だけで伝わるものではないということ。林思涵がこのことに気づいたのは、研究者になってからではなく、台南の実家の食卓においてだった。 祖母がサツマイモ粥を炊くとき、火加減を見る目の動きがあった。
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完成しないアーカイブの誠実さ——記録の相手が「未来」に向いているときの構造

アーカイブは完成しない。この前提から出発したいと考えます。 私が主導しているオーラル・ヒストリーのプロジェクトでは、戒厳令期を生きた方々の証言を記録・公開しています。
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言語化前の感覚が構造化される過程——観察と解釈のあいだで生まれるもの

はじめに——「わかる前」の時間について 研究をしていると、データや資料を前にして、まだ言葉にならない「何か」を感じる瞬間があります。それは仮説とも直感とも呼べない、もっと手前の段階にあるものです。
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環境の不具合が個人の責任として内面化される仕組み——戒厳令期の社会運動アーカイブから見える制度的不可視化

問いの所在 制度や構造に起因する問題が、なぜ「個人の努力不足」や「適応力の欠如」として語り直されるのか。この問いは、林思涵が修士論文で扱う戒厳令期(1949–1987年)の台湾社会運動アーカイブを読み解く中で、繰り返し浮上するものである。
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理解より先に接触がある——読むことの身体性と制度的評価の隔絶

論点の提示 文脈を整理すると、私たちが「読む」という行為を語るとき、そこにはある種の制度的前提が張り付いていると考えられます。つまり、読解とは「意味を正しく取り出すこと」であり、その精度が評価の対象になるという構造です。
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捨てた理由を記録する——設計思想の判断が失われることの構造的問題

なぜ「採用しなかった案」の記録が必要なのか 設計における意思決定の痕跡は、採用された案だけでは不完全だと考えられます。思涵が修士論文のアーカイブ研究を進める中で繰り返し直面するのは、「なぜこの選択肢が退けられたのか」が記録されていない問題で…
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