はなさん、庭に出る
今日、ベランダのプランターに水をあげようとしてたら、はなさんがいつの間にかハイハイで追いかけてきてた。
「あっ!あっ!」って、ジョウロを指さしながら全力アピール。
触りたいのはわかるよ〜!でもはな、それ重いから!
そのままそーっとプランターの端っこを指で触らせてあげたら、「んー……」って真剣な顔でしばらくじっと土の感触を確かめてた。それがあんまりにも真剣で、思わずこっちが息をのんでしまったくらい。
庭、というか我が家のベランダ菜園はかなりこじんまりしてる。バジルとミニトマトとパクチー。前橋の風が通るこの小さなスペースが、最近なんとなく好きな場所になってきた。
仕事が立て込んで「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」って頭だけでぐるぐるしてる日に、はなさんの水やりの付き合いでベランダに出ると、不思議と呼吸が深くなる。風の音、土の匂い、はなさんの「だだだっ!」って声。そういうものが身体に入ってきて、やっとわかってきた——力を抜くって意識的にやるものじゃないんだな、って。
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「追いかける」という感覚記憶
はなさんが今、なんでもハイハイで追いかけてくる時期に入った。
猫の動画の音、私が立つ気配、落ちたおもちゃの方向——とにかく「動くもの・音のするもの」に反応して、即座に身体が動く。考えてから動くんじゃなくて、感覚が先に動いて身体がついていく感じ。
そっか、それって赤ちゃんの身体知ってすごいなと思う。
私たちって大人になるにつれて「考えてから動く」癖がついて、感覚が鈍くなっていく部分があるよね。頭でブレーキかけてから、ようやく一歩踏み出す、みたいな。でもはなさんを見てると、「感じた瞬間にもう動いてる」がデフォルト設定で、そのピュアさにこっちが刺激される。
音楽やイベントの仕事をしてるとき、私が一番「生きてる!」ってなる瞬間も、実はあの感じに近い。音が身体に入ってきて、考える前に反応してる、あの瞬間。それって感覚の目醒めみたいなものだと思う。
はなさんはまだそれが全部デフォルト。毎日が感覚記憶の積み重ねなんだと思うと、この時間がいかに濃いかが少しわかってくる。
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力を抜いた瞬間に豊かさが来る、というリアル
正直に言うと、育児しながらフリーランスの仕事を回すって、想像の5割増しくらいで「追いかけ続ける日々」だ。
締め切り、納品、打ち合わせ、はなさんのご飯、睡眠退行、保育の調整——全部に全力で向き合おうとすると、気づいたら呼吸が浅くなってた、みたいなことが普通に起きる。
でも最近、ベランダで水やりをする10分間だけは「何もしない」を意識してる。
はなさんが土を触ってる間、私はただ風の音を聞いてる。前橋の空って、夕方になると独特のオレンジとグレーが混ざった色になって、それがけっこう好きで。その空の色と風の感触と、はなさんの「んー!んー!」って声が重なる時間に、なぜかちゃんとリセットがかかる感覚がある。
まじでこれ発見だったんだけど——豊かさって、追いかけてるときじゃなくて、手を止めたその隙間に滑り込んでくるんだよね。
はなさんが追いかけることに夢中になってる横で、私が力を抜いた瞬間——あそこに、なんかすごく大事なものがある気がして。うまく言えないけど、あー、この感じだ、って毎回思う。
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感覚を育てる場所としての「庭」
ベランダ菜園を始めたのは、もともとはただの気まぐれだった。
でも今は、はなさんの「はじめての感触体験」の場所になってる。バジルの葉を触ったときの「あっ……!」って顔。土のにおいを嗅いで「んー?」って首をかしげる瞬間。水が跳ねたときの「あー!だっ!」って全力リアクション。
すべての感覚が初めて起動する瞬間に立ち会えてるわけで、それって考えてみたらとんでもなく贅沢なことへの気づきへと深まっていった。
感覚を育てる場所って、特別なところじゃなくていい。ベランダの小さなプランターで十分。風があって、土があって、においがあって——それだけで、赤ちゃんの感覚記憶はどんどん積み上がっていく。
そしてそれを隣で見てる私自身の感覚も、少しずつ研ぎ直されていくことの豊かさ、やっとわかってきた気がする。
はなさん、今日もありがとね。あなたのおかげで私の感覚もほぐれてるよ。

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