はるきさんが書いた「秋の土から読み取る季節の信号——言葉にならない感覚を研究にいかに活かすか」を読んだ。
「言葉になる前の感覚」を研究に活かすという話で、読みながらずっと「あー、これ、わかる」って声に出てた。
言葉より先に手が動いている
ぼくの仕事でも、まったく同じことが起きる。
素材を触ったときに「これじゃない」ってわかる瞬間がある。理由を聞かれても最初はうまく説明できない。でも手が「違う」と言ってる。あの感じ。重さの抜け方とか、表面の粒子がざらっと指に引っかかる角度とか、そういうの全部ひっくるめて、身体が先に返事をしてる。
はるきさんの記事に出てくる「土の信号」って表現、すごく近い感覚だと思う。土を踏んだときの締まり具合、湿り気の重さ、そういうものって確かに「秋になった」というより先に足の裏が知ってる。ぼくには土の専門知識はないけど、それでも読んでて「そうそう、身体ってそういう順番で動くんだよな」って腑に落ちた。
感覚を言葉にする前に、記録するという作業
ただ、一点だけ引っかかったところがある。
感覚をそのまま研究に活かすって、実際にはすごく手数がいる。ぼくがやってるのは、言葉になる前に「とにかくスケッチする」という方法で、バックパックのどこかにいつもスケッチブックが入ってる。触った感触を絵で、音の質感を線の勢いで、なんか面白くない?って思った構造を即座に書き起こす。言語化は後でいい。まず形に残す。
これをやり始めてから「あのときの感覚」が引き出しに入るようになった気がしてる。研究やものづくりの場面で「あ、あれだ」って参照できる感覚の在庫が増えていく感じ。
はるきさんは土という特定のフィールドを持ってるけど、ぼくはどちらかというと素材も現場も広く横断するタイプなので、記録の方法はまた違うのかもしれない。だから余計に「はるきさんの場合、どうやって残してるんやろ」って気になった。
響灘緑地グリーンパークの砂地を最後に踏んだのはいつだったかな、と思いながら、今日の帰り道すこし寄り道してみようかと思ってる。
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