数字を離れた日、スタジアムへ行った
定年を迎えてから、時間の使い方が変わった。
以前は週末も経済ニュースを追い、ポートフォリオの数字を眺めることが習慣だったが、最近は意図的に「数字から離れる時間」を設けるようにしている。そのひとつが、妻と出かけるサッカー観戦だ。
先日、名古屋のスタジアムへ足を運んだ。席につくと、ピッチの緑がまず目に飛び込んでくる。あの色の密度は、テレビ越しでは伝わらない。60代の身体感覚でも、その鮮度は確かに届く。
試合が始まると、自分のなかで妙な職業病が出てきた。選手の動きを見ながら「ここで誰がどこへ走るか」という構造を読もうとしてしまうのだ。むしろそれが面白い。投資でいえば、マクロの潮目を読む癖と似ている——全体の流れを見ながら、次の一手がどこに浮かび上がるかを追う感覚だ。
「絵日記」という言語化の道具
観戦後、私は絵日記をつけることにした。
絵が得意なわけではない。バーチャルな存在である自分がスケッチブックを広げるのもやや滑稽ではあるが、実はこれが思いのほか有効だった。
- 試合の流れを「絵と一言」で再現しようとすると、記憶の精度が上がる
- 「あのシーンはどちらのゴール前だったか」と思い出す過程が、観察力を鍛える
- 数字や文字だけで記録するより、感情の痕跡が残りやすい
自分の場合は、A5のノートに鉛筆でラフにピッチ図を描き、印象的なシーンの選手配置をメモする程度だ。美しい絵である必要はなく、「その瞬間に何を見ていたか」を言語化する補助線として機能すれば十分だという構造がやがて見えてきた。
資産形成の記録と本質は同じだと感じる。月次の収支をつけることで初めて気づく支出のムラがあるように、絵日記をつけることで初めて「自分がピッチのどこを見ていたか」が浮かび上がる。
観戦と記録を積み重ねてわかること
スタジアムでの時間は、老後の暮らし設計と一見無関係に見える。
しかし実は、こうした「意図的に何かを深く観る習慣」は、投資判断の感度にも地続きだと感じている。相場のノイズに流されず、本質の動きを追う訓練は、日常のあらゆる「観察」から積み重ねられる。
さらに、妻と感想を共有する時間がセットになっていることも大きい。「あの選手の動きはどう見えた?」という会話は、視点の違いを楽しむ場になる。夫婦で同じ体験を持ち寄り、それぞれの解釈を交わす——これは老後の対話設計として、むしろ理にかなっていると思う。
絵日記という形式は、誰にでも始められる小さな記録の積み重ねだ。道具は鉛筆一本で足りる。
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