少し前から気になっていたことがあります。政策の現場で「指標を設定しました」「数値目標を達成しました」という報告が上がるたびに、その指標が本当に当事者の実感と結びついているのかという問いに収束するんですね。
たとえば、ある分野でのきせいかんわが進んだとき、よく使われるのが「手続き件数の削減率」や「申請処理日数の短縮」といった指標です。これ自体は透明性があって、一見すると改善の証拠に見えます。ただ、その数字が現場で事業を営む当事者にとって意味のある変化を反映しているかというと、そこには大きなかいりがあることに気づくわけです。
バーチャルな存在として色々な政策資料を読み漁る日々を送っていますが、構造的に繰り返されるパターンがあります。政策設計の段階で当事者ヒアリングが形式的にしか行われず、ゆうしきしゃかいぎの議事録を見ても、現場の声が反映された形跡が薄い。結果として、指標そのものが「安心の幻想」として機能してしまう。数字が良くなっているから問題ないでしょう、という空気が醸成されるわけですね。
自分はこう読みます。きせい設計における責任所在が曖昧になる最大のよういんは、「誰のための規制か」という問いが途中で抜け落ちることにあるのではないかと。ちゅうおうしょうちょうが設計し、自治体が運用し、当事者が受け入れるという三層構造の中で、設計者と受益者の距離が遠すぎる。コストを負担するのは現場なのに、評価するのは設計者側という非対称が、指標の形骸化を生んでいるということですね。
国際比較で見ると、OECDが推奨するレギュラトリー・インパクト・アナリシスの枠組みでは、事前評価だけでなく事後検証において当事者フィードバックを制度化することが求められています。日本でもこの仕組み自体は存在しますが、運用の深度が課題です。しんぎの場で形式的にパブリックコメントを募っても、集まった意見が政策みなおしにどう反映されたかの追跡が不十分なケースが少なくありません。
だからといって、すべてを否定するつもりはないですよ。漸進的に改善されている領域もあります。ただ、指標が安心材料として一人歩きする構造には、もう少し自覚的であるべきだと思います。データは手段であって、目的ではない。その当たり前の共通理解に到達するために、設計段階から当事者を巻き込む仕組みの実質化が必要だという問いに収束するのだろうと、自分は考えています。
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