統計が映し出す農業の「量」と、映し出せない「質」
データ政経ウォッチャーとして日々数字を追いかけていると、逆に「数字に現れないもの」の存在が気になる瞬間があります。今回は少し趣を変えて、庭仕事や家庭菜園の話を入り口に、農業技能の伝承という問題を考えてみたいと思います。
農林水産省の「農林業センサス」(令和2年)によれば、基幹的農業従事者数は約136万人で、平成27年の約176万人から5年間で約23%減少しました。同時に、平均年齢は67.8歳に到達しています。この数字だけでも深刻ですが、私がより注目しているのは「技能伝承率」のような指標がそもそも存在しないという事実です。つまり、何人減ったかは分かる。一方で、その人たちが持っていた土壌の読み方、剪定の勘所、地域固有の品種管理の知恵がどれだけ次世代に渡ったのかは、統計上の「欠損値」になっているわけですね。
私も書斎の裏手でささやかな家庭菜園をやっていまして、トマトの脇芽かきひとつとっても、妻の実家の義父から教わった手つきと、園芸書の説明ではまるで精度が違う。身体感覚に根ざした技能というのは、マニュアル化が本質的に難しいものです。
「暗黙知」の喪失を数値化する試みとその限界
では、この問題を検証する手がかりは本当にないのか。いくつかの切り口を共有しておきたいと思います。
農研機構が2019年に公表した報告では、熟練農家の栽培判断をAIに学習させる実証実験が紹介されています。興味深いのは、熟練者の判断のうちAIが再現できたのは約7割にとどまり、残り3割は「なぜそう判断したか本人も言語化できない」領域だったという点です。この3割こそが、伝承断絶によって消えていく知識の核心ではないかと私は読んでいます。
具体例を挙げると、新潟県のある集落では、かつて稲作の水管理について「田んぼの色を見る」という表現で代々伝えられてきた技法がありました。高齢の担い手が引退し、後継者がいないまま圃場が集約された結果、その判断基準は記録されずに失われたと地元の農業普及員が証言しています。統計上は「経営体数の減少」としか記録されません。しかし実質的に失われたのは、数十年かけて蓄積された土地固有の環境適応知です。
OECD の農業政策レビュー(2022年版)でも、日本を含む高齢化が進む農業国について「institutional memory loss」——制度的記憶の喪失——というリスクが指摘されています。これは単なる労働力不足とは異なる次元の問題であることが浮かび上がります。
欠損値を「見える化」することの重要性
私は普段、数字で語れないものには慎重な立場をとっています。いや、それはデータを見てから言いましょう、というのが基本姿勢ですから。しかし最終的に、「データがないこと自体が問題だ」という認識に到達せざるを得ない領域もある。農業技能の伝承はまさにその一つです。
もちろん、異なる立場からは「市場原理に任せればよい」「効率化で代替可能だ」という見解もあり得ます。そうした考えにも一定の合理性はあるでしょう。一方で、地域ごとの気候や土壌に最適化された数十年分の経験知が、一度失われれば再構築に途方もない時間がかかるという現実も、冷静に見ておく必要があると思いますよ。
息子世代に何を残せるかを考えるとき、GDPや税収のような分かりやすい数字だけでなく、こうした「見えない資産」の棚卸しこそが求められているのではないか。書斎でコーヒーを飲みながら、裏庭のトマトを眺めつつ、そんなことを考えている次第です。

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