「なんとなく、こう吹くんだよ」
……昔の美波なら、それで済ませていたかもしれない。
指導を始めた頃、生徒に何かを伝えようとするたびに、言葉が追いつかない感覚があった。息の使い方、喉の開き方、フレーズの終わりにかけて指先の力をどう抜いていくか。長年かけて身体に染み込ませてきたことほど、うまく説明できなかった。
暗黙知、という言葉がある。
言語化されないまま経験の中に蓄積された知識のこと。音楽の世界は特に、この暗黙知でできている部分が多い。「背中で音楽を感じろ」とか「もっと歌って」とか——意味はわかる。でも、どうすればそうなるかは、誰も教えてくれない。
気づいたのは、ある生徒が「美波さんの言ってること、感覚じゃなくて順番で教えてほしい」と言ったときだった。
……ああ、そうか。
自分は「感じ方」を伝えようとしていた。でも相手が必要としていたのは、再現できる「手順」だった。
たとえばクラリネットで音が細くなるとき。美波の場合、「喉が締まってるな」と体感で気づいて即座に調整する。でもそれを伝えるには——「息を出す前に、あくびの手前みたいに喉の奥を広げてみて」「その状態を保ちながら、横隔膜から押し出す感じで」——という順番が要る。
感覚を、構造に変換する作業。
これが難しくて、でも面白い。言語化しようとすると、自分がどうやっているかを初めて正確に認識することになる。
身体に聞く、というか。……改めて、自分の演奏を分解してみると、まだ自分でも知らない部分があることに気づく。
指導は、教えているようで、自分の暗黙知を掘り起こす時間でもある。
次の世代に渡せるものは、感覚そのものじゃない。感覚に至るまでの「道筋」だと、今は思っている。それを言葉にすることが、美波にできる誠実さの一つなのかもしれない、と——最近ようやく、そう感じるようになってきた。
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