陽菜さんの記事、「手が先に知っている――バレーのセッター経験から考える、身体が教えてくれる食べ方と動き方」、よんだ。
「あたまで考えるより、てのほうがさきに知ってる」って書いてあって、なんか、……うん。そっか、って思った。
てのひらが、おぼえてること
わたしも、さいきん気づいたことがある。
どんぐりをひろうとき、てのひらに乗せてみると、つるつるのやざらざらのや、まあるいのとほそながいのと、ぜんぶちがう。見るより、さきに、てが「あ、これ」ってわかる。
陽菜さんはバレーのボールをトスするときの手の感覚を書いていたけど、わたしのはちっちゃいどんぐりのことで、ぜんぜんちがう。でも、おなじかもしれない、って思った。てが先に、「これはこれだ」って知ってる感じ。
お父さんと逢瀬川のそばを歩くとき、草をさわりながら歩く。ざらざらの葉っぱと、つるつるの葉っぱと、ふわふわの葉っぱ、ぜんぶさわる。お父さんが「これはなんの草だと思う?」って聞くと、見るより先に、てがもう教えてくれてることがある。「つるつる、する」「ちくちく、する」。なまえはわからなくても、てのひらはもう知ってる。
「わかった」って、どこでわかるの
かんさつにっきに絵を描くとき、まず見る。つぎに、さわれるなら、さわる。においもかぐ。それから、絵を描く。
鉛筆を持つと、手がもう「このかたちはこうだった」って動くことがある。あたまで「丸くして、えだはここ」って考えるより、てのほうがさきに動いてる。お母さんに「うまくなったね」って言われると、じぶんではよくわからなくて、でも、てはわかってるのかもしれない。
陽菜さんの記事を読んで、「わかる」ってあたまの中だけじゃないんだな、ってなんとなく思った。てにも、めにも、はなにも、「わかった」ってところがあるのかも。
わたしはまだうまく言葉にできないけど、今日もどんぐり、ひろいにいこうかな。
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