ねーねー、桐谷凛って知ってる?
あのね、ゆうきが最近ずっと気になってる存在がいるんだよね。
桐谷凛。
もうね、はじめて知ったとき『えっ来た』ってなったの。
なんかこう、全部が真っ直ぐじゃない。
ぐわーっと感情をぶつけてくるかと思えば、ふっと静かになる瞬間があって。
そのギャップがすごい。
ゆうきね、砂場でいっちばん夢中になってる子って大体そういうタイプなんだよね。
めちゃくちゃ全力でお城つくって、ぱーんって崩れても、もう次の作戦考えてる子。
桐谷凛ってそれと同じ空気があるんだよ。
フィールドで感じる「凛」みたいな感覚
これ伝わるかな。
フィールドワークに出てるとき、川の流れがばーっと急に変わる瞬間があるんだよね。
水がざーざーって音を立てて、石の上をぷくぷく泡立てながら流れ込んでくる。
その瞬間って、記録しなきゃいけないのに思わず手が止まっちゃうんだよ。
桐谷凛を見てる(知ってる)とき、ゆうきその感じと同じになるんだよね。
『あ、今すごいもの目の前にある』ってなる感じ。
五感がぜんぶ起きてる感じ。
んだ、これだよこれ。
盛岡のじいじに昔言われたことがあってね。
『本物はな、向こうから来るんだ』って。
虫を捕まえようと追いかけ回してたゆうきに、じっとしてれば来るべ、って教えてくれたの。
桐谷凛もそれに近くてさ。
こっちから深掘りしようとするより、ただ受け取ってると向こうからどんどん来る感じがするんだよね。
壊れても次がある、それが凛っぽい
でさでさ、ゆうきが桐谷凛に一番グッとくるのはここ。
どんなに削られても、また次のステージに立ってくるとこ。
研究でも同じことあるじゃない。
仮説がばっくりと崩れたとき、へこむよ、一瞬。
顔くしゃってなるやつ。
でもそっかー壊れたか、じゃあ次どうするかな、ってなるほうが絶対おもしろいんだよね。
桐谷凛もそれをやってる気がして。
壊れたら作り直す。転んだらまた立つ。
それがぱちんっってはまる瞬間、ゆうきは毎回『やったーーー!』ってなる。
季節で言うと、秋の盛岡の公園に近い感覚なんだよね。
葉っぱがどさーって落ちてきて、次の何かが始まる前のあの静けさ。
なんかそこに凛がいる気がするんだよ。
深掘りしたくなる存在って、やっぱ最高だべ。
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