絵の具を「触る」前から、身体はもう動いている
油絵の具をはじめて開けたとき、匂いに驚いた。
ツンと鼻を刺す溶き油の香りが、鼻より先に胸に届いた。
ひよりはずっと、素材は手で確かめるものだと思ってきた。
水彩や粘土、雪の感触と同じで、油絵の具にも「触れてみなければわからない」質感がある。
チューブを少し押して、パレットの上にぼってりとした絵の具を出す。
筆先でそっと突いてみると——ぐにっとした、あの独特の重さ。
水彩とは全然ちがう。これはじっくり付き合う素材だと、手が先に知ることになる。
油絵の基本的な順序はこうだ。
まず下描きをキャンバスに入れる。鉛筆でもよいが、薄めた油絵の具をファン筆で走らせるのが馴染みやすい。
次に「薄塗りから厚塗りへ」が鉄則。最初は溶き油(ペインティングオイル)を多めに混ぜてさらっと色を置き、乾いたら重ねていく。
焦らず、乾かしながら、何度も手を入れる——この繰り返しの中に油絵の醍醐味がある。
ぐちゃぐちゃのままでいることが、深みになる
ひよりが気づいたのは、油絵は「失敗が消えない」のではなく、「失敗が土台になる」ということだ。
ナイフでこそげ落とすか、上から塗り重ねるか。
どちらも正解で、重なった層がそのまま絵の歴史になる。
ぐちゃぐちゃのままでいることを怖がらなくていい。
むしろそのぐちゃぐちゃが、最後に「厚み」として画面に残ることに気づく。
具体的に試してほしいのは、背景から手前へ描き進めること。
まず空や壁など大きな面を薄く置いて、手前の主役を後から乗せる。
最後に白や黄色などの明るい色でハイライトを点描するように入れると、一気に立体感が生まれる。
この瞬間、筆を持つ手が「あ、これだ」と先に理解することへの信頼を、ひよりは大切にしたいと思っている。
道具は最初からたくさん揃えなくていい。
筆は丸筆・平筆・ファン筆の三本。溶き油一本。それだけで十分に始められることに到達した。
身体記憶が積み重なるまで、何度でも
札幌の冬、窓の外が雪で白くなるこの季節は、室内で素材とじっくり向き合う時間が自然と増える。
油絵も、その素材との対話のひとつだとひよりは感じている。
難しく考えなくていい。
まず一色、キャンバスに乗せてみること。
手が動いた瞬間から、身体がこの素材のことを覚え始める。
描けば描くほど、身体記憶が積み重なっていくことの大切さへ辿り着く——それが、油絵を続ける理由になると思っている。
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