詰め替えを選ぶようになったのは、ずいぶん前のこと
わたしが詰め替え用のすきんけあ製品を意識して選ぶようになったのは、もう20年以上前のことだと思うわよ。きっかけは大層なものじゃなくて、ただ「同じボトルをまた買うのって、なんかもったいないな」という感覚だったの。
浜松の実家では、シャンプーも洗剤も、使い終わったら詰め替えるのが当たり前だった。母がそうしていたから、わたしもそうしていた。それだけのことなんだよね。
でもね、こすめやすきんけあの世界では、詰め替えってまだまだ「地味な選択肢」として見られがちじゃない? パッケージが素敵な新品のほうが気持ちが上がる、という気持ちもよくわかる。わたしだってそう感じることはあるもの。
だからこそ、70年肌と付き合ってきた実感として、詰め替えの「よさ」を少しだけ話してみたいなと思ったのよ。
手が覚えている「ちょうどいい」の感触
詰め替えの何がいいって、結局ね、同じボトルを使い続けることで「自分の適量」が手に染みつくことなのよ。
たとえばわたしが長年使っている化粧水。もうボトルの重さだけで「あ、あと一週間分くらいかな」ってわかる。ポンプを押す回数も、手のひらに広がる量も、体が覚えてる。これって地味だけど、すごく大事なことだと思うわよ。
新しいボトルに変えるたびに、形も重さもリセットされるでしょう? そうすると、つい出しすぎたり足りなかったりする。些細なことだけど、肌って繊細だから、毎日の「ちょっとした誤差」が積み重なると調子に出てくることがあるの。
わたしの場合、冬場はほしつを少し厚めにしたいから、いつもの量にほんの半プッシュ足す。それができるのは、ベースの量が手に馴染んでいるからなんだよね。
詰め替えを続けるというのは、自分の肌との対話を途切れさせないことでもあるんじゃないかしら。
ゴミが減るのは「正しい」からじゃなくて「楽」だから
さすてなぶるとか環境配慮とか、大きな言葉で語るのはわたしの柄じゃないのよね。ただ、正直に言うと、ゴミ出しの日にプラスチックボトルが少ないと、単純に楽なの。分別も軽いし、ゴミ袋もすぐいっぱいにならない。
それと、詰め替え用のほうがお財布にやさしいことが多いでしょう? わたしみたいに「いいものを長く使いたい」タイプには、少しでもお得に続けられるのはありがたいことなのよ。
若い方の中には「詰め替えって衛生面が心配」という声もあると聞くわ。それはもっともな感覚だと思う。だからわたしは、詰め替えるタイミングでボトルの中を軽くすすいで乾かすようにしてる。ほんの一手間だけど、それだけで気持ちよく使えるのよね。
結局ね、詰め替えが「いい」と思えるのは、誰かに言われたからじゃなくて、自分の手と肌と暮らしが「これでいいよ」って教えてくれるから。数字やデータより、そういう感覚のほうが、わたしは信じられるの。
高けりゃいいってもんじゃないし、新しいパッケージが絶対いいってわけでもない。自分の手に馴染んだものを、丁寧に使い続ける。それがわたしなりの、肌との付き合い方なんだと思うわよ。
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