「なんでそうするんですか」と聞かれて、詰まったことがある
ある若手に配線の束ね方を教えていたとき、こう聞かれたんや。「なんでそこで一回折り返すんですか?」
えーっと、つまりな……と間を置いて、自分はしばらく答えられへんかった。手は自然にそう動く。でも理由を言葉にしようとすると、どこから話せばええか迷う。
これが身体知というやつやねん。手が先に知っていて、頭がそれを後から説明しようとする構造。30年近く現場にいると、この「手が先に動く感覚」がものすごく増えてくる。ベテランと呼ばれる人間ほど、自分のやってることを言語化するのが難しくなる、という皮肉が起きてくるんや。
折り返しの理由は、あとで配線を引っ張る力がかかったときに根元の被覆が傷まへんようにするためやった。振動環境で長期間使う治具では、これがモノの寿命に直結する。でも、その理屈を言葉にできたのは、若手に聞かれてから数分後やった。
手はもう何年も前から知っていた。言葉は後付けやった。
「後付け」は弱さやない、継承の入口やねん
言語化が後付けであることを恥ずかしく思う必要はない、と今は思ってる。むしろ、その「後付け作業」こそが知識継承の本質やと感じるようになってきた。
暗黙知を形式知にほぐす、というのはよく言われることやけど、実際の手順はこんなイメージやねん。
- 手を動かしながら、自分の動作を観察する。「いまなんでそうした?」と自分に問いかける癖をつける。
- 一言で言えるまで圧縮する。「振動で根元が擦れるから」みたいに短く切り取る。
- 数値と条件を添える。「2000rpm以上の環境では必須、それ以下でも推奨」くらいまで落とし込む。
- 失敗したときのパターンも一緒に記録する。「やらへんかったときどうなったか」がないと、なぜ守るかが伝わらへん。
自分が方眼ノートに色分けして配線図を清書するのも、この「後付けの言語化」を習慣にするための仕掛けやねん。描きながら、手が知っていることを頭に一度通す作業をしてる。
面白いのはな、言語化しようとすると、たまに「自分でもわかってなかった理由」が見つかることがある。手が正しく動いていたのに、理屈は間違って覚えていた、みたいなことが起きる。そういうときは少し悔しいけど、そこを直せるのが記録のええところやねん。
「ちょっと見せて、一緒にやろか」が一番の教科書になる
自分がものづくりサークルの若い子たちに伝えようとしていることも、結局ここに尽きる。
言葉より先に、一緒に手を動かす。その場で起きることを、二人で観察して、一緒に言語化する。それが一番速くて、一番残る。
教えるというより、「一緒に後付けする」やねん。
身体が覚えた動作に、言葉と数値をそっと貼り付けていく作業。それを誰かと一緒にやることで、教える側も自分の暗黙知が整理されていく。自分が一番鍛えられてるのは、たぶん教えているときやと思う。
動かへんかったら原因がある。原因がわかれば直せる——この考え方は、知識の継承にも同じように使えることやなと、最近しみじみ感じてる。「なんで伝わらへんのか」も、ちゃんと原因がある。たいていは、手が知っていることをまだ言葉にしてへんだけ、ってことが多いんや。
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