名前は、その人が生きる地図になる
「志帆」という名前がある。志(こころざし)に帆(ほ)。風をはらんで前へ進む帆に、自分の志を重ねた名前だ。
堀田が教育委員会の現場にいた頃、公民館の子育て講座で「名前の意味を子どもに伝えていますか」という問いかけをしたことがある。集まった保護者の半数近くが、「なんとなく画数がいいと思って」「響きが好きで」と答えた。それはそれで悪いことじゃない。まあ、響きから始まる縁というのも、確かにある。
ただ、「志帆」のような名前は少し違う気がする。「志」という字には方向がある。社会教育の実務でいえば、計画書に目標を書くのと似ていて、どこへ向かうかを最初に定める意志が込められている。そこに「帆」が加わることで、その志が単なる内なる決意にとどまらず、風という外の力を受け止めながら前へ進む、という動きが生まれることに気づく。内と外、個人と環境——この二つが組み合わさった名前だと堀田は感じている。
地域の文化と「名前を贈る行為」
にっこうの古い家々を歩いていると、土間の柱や仏間の欄間に、先祖の名前が墨書きで残っていることがある。堀田が石蔵の保全調査に入ったある集落では、明治期の当主の名前に「帆」の字が使われていた。船乗りの家系ではなく、山間の農家だった。聞けば、「遠くまで志を運べるように」という意味で名付けたと、末裔の老人が教えてくれた。
名前というのは、その家族が子どもに贈る最初の物語だということを体験する。文化財ほご法の条文には出てこないが、名前も広い意味での地域の文化資源だと堀田は思っている。祭りの幟(のぼり)に書かれた氏名、回覧板の当番表に並んだ名前、公民館の掲示板——地域の中で名前は繰り返し目に触れ、声に出され、その人の存在を地域につなぎとめる役割を果たすものだと気づく。
「志帆」という名前を持つ子が地域の中で育つとき、その名前は自分が何者であるかを問い続けるきっかけになるかもしれない。志はどこにあるのか。どんな風を受けて動くのか。それを考え続けることが、地域の中で生きる人間としての軸になっていくことへと発展するように思う。
名前を丁寧に選ぶことは、地域の未来を丁寧に想像することと、根っこでつながっている。まあ、俺の場合はそうだったってだけだけどな。
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