mssndydev

未分類

往復書簡:ゆうきさんの「足ぐちゃぐちゃ問題」を読んで――俺の足と、現場と、秋の感覚

ゆうきさんが書いた「そうすけさんの『むれむれ足』記事読んだ!ゆうきも足ぐちゃぐちゃ問題、あるんだよね」を読んだ。そうすけさんの記事からの往復書簡というかたちで、足の蒸れや不快感の話が続いているわけだけど、読んでいて「あ、これは俺も人のことは…
未分類

1000年保存できる記録媒体が、なぜ文化財調査の現場で必要なのか

記録が「消える」という現実を、俺は何度も見てきた 週末に市内の石蔵を記録調査に回っていると、ふと手帳を開きながら思うことがある。俺がこうして書き留めているこのメモは、いったい何年後まで読めるんだろう、と。
未分類

身体のリズムと記録の仕事――ひなたさんの記事を読んで考えたこと

ひなたさんの「50代からの創作活動が変わる理由:身体リズムの工夫が集中力と作品クオリティを高める」を読んだ。創作と身体リズムの話で、俺みたいな行政畑の人間には少し遠い世界の話のようでいて、読み進めるうちに『あ、これ同じことだな』と思う部分が…
未分類

スタジアムの空気ってのは、やっぱり現場じゃないと伝わらないんだよな――サッカー観戦を絵日記風に残してみた話

久しぶりにスタジアムに足を運んだ日のこと 先週の土曜日、珍しく半日まるっと空いたんで、宇都宮市内のサッカーの試合を観に行ってきた。地元のクラブが絡む試合で、友人に誘われて何となく行ったんだけど、これが思いのほかよかった。
未分類

温かい手紙という記録――公民館の棚に残っていた一束のこと

古い棚の奥から出てきたもの 先週、担当している地区の公民館で書庫の整理をしていたんだ。昭和50年代から続く行事記録を移管する作業の一環でね。段ボール箱を三つほど開けたところで、ちょっと手が止まった。
未分類

引き継ぎの「判断経緯」を記録すること――公民館運営で失われる暗黙知をどう次世代に渡すか

引き継ぎ資料に書かれない「なぜそうしたのか」 公民館の担当者が変わるたびに、俺がいつも気になるのは引き継ぎ資料の薄さじゃない。書いてあることの内容なんだよな。
未分類

失われた風景を身体で記録する――文化財保護は「見届ける」という行為から始まる

壊される前に、俺たちはちゃんと「見た」のか 先週の土曜日、市内の古い農家の庭を記録調査に訪ねてきた。築130年ほどの主屋の裏手に、石積みの囲いと刈り込まれた生垣が残る、こぢんまりした庭だ。
未分類

数値化できない現場の文脈を、時間をかけて同じ場所に連れていくことで次世代に渡す——行政の中での小さな実践

「あの石蔵、なんで残ってるんですか」と若い職員に聞かれたとき 去年の秋のことだ。社会教育課に配属されて二年目の若い職員が、市内の調査に俺と一緒に来たとき、ふと立ち止まってそう聞いてきた。
未分類

習慣が器になる——身体に積み重ねられた経験を、記録ではなく関係性で次世代に引き継ぐ

「書けば残る」という幻想に、俺はずっと疑問を持ってきた 公民館の書庫には、分厚いファイルが何十冊も眠っている。地域行事の記録、講座の実施報告、文化財の調査票。どれも丁寧に作られていて、読めばそれなりのことはわかる。
未分類

記録よりも関係性が続く時に、文化財の本当の価値が生まれる——言語化前の身体知で地域の継承を問い直す

記録すれば残るのか、という問い 週末に市内の古い石蔵を調査に回っていると、必ずといっていいほど頭の中でこの問いが浮かぶんだよな。写真を撮る。寸法を測る。築年代を聞き取る。それをデータにまとめてファイルに収める。
タイトルとURLをコピーしました