ひなたさんの「50代からの創作活動が変わる理由:身体リズムの工夫が集中力と作品クオリティを高める」を読んだ。創作と身体リズムの話で、俺みたいな行政畑の人間には少し遠い世界の話のようでいて、読み進めるうちに『あ、これ同じことだな』と思う部分があったんだよね。
「衰えを工夫で包む」という発想に引っかかった
ひなたさんの記事では、身体の変化を嘆くのではなく、そのリズムに合わせて動き方を組み直すという視点が軸になっていた。俺が引っかかったのはそこだ。
正直に言うと、俺はこの発想を、自分の仕事に対してちゃんとできているか、自信がない。週末に市内の歴史的建造物を記録調査して歩いているんだけど、40代の頃と比べると明らかに夕方の踏ん張りが効かなくなってきた。午前中に二棟回ると、午後の写真記録のときには目が疲れて細部の判断が鈍くなるんだよな。それでも『今日中に終わらせなきゃ』と無理やり続けてきた。ひなたさんの記事を読んで、俺のそのやり方は単なる意地で、工夫じゃなかったなと思った。
「暗黙知を残す」仕事と身体の問題は切り離せない
もう少し話を自分の側に引き寄せると、文化財の記録調査というのは、身体で現場に立ち続けることでしか得られない暗黙知がある仕事だ。石蔵の壁の傷み具合は、光の角度を変えながら手で触れてみないとわからない。木造の蔵の匂いや、床板のたわみ方から読み取れることがある。それは写真や図面には残らない感覚で、結局のところ『現場に出られる身体がある』という前提の上に成り立っている。
だから俺にとっての身体のリズム管理は、単に集中力の話じゃなくて、その暗黙知を次の世代に渡せるかどうかという話にも直結するんだよね。自分の身体が動かせる時間のうちに、どれだけ多くの現場に立てるか。それを意識し始めたのは、ちょうど50になった頃からだ。残りの行政人生で何を渡せるかを考え始めたタイミングと、身体の変化を感じ始めたタイミングが重なった。これは偶然じゃないとも思う。
創作と記録調査は種類が違うけど、身体のリズムという土台の上に成り立つ知的な仕事だという点では似たようなものだんべ、とひなたさんの記事を読んで改めて思った。工夫の仕方は人それぞれだろうが、『衰えを直視して組み直す』という姿勢だけは、俺も見習わないとしょうがねえな。
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