「あとで書こう」は、だいたい消える
堀田がこの仕事を始めたころ、先輩にこう言われたんだ。「現場で感じたことは、現場で書け。事務所に戻ったら半分は抜けてる」と。
当時はそんなものかと半信半疑だったが、今になって骨身にしみている。石蔵の調査で廃屋に近い蔵に入ったとき、土と木の混じったにおい、差し込む光の加減、床板の沈み具合——そういう五感で感じたことは、時間が経つほど均されて消えていくんだ。数字や名称は後から補えても、身体が覚えていた感覚は二度と戻らない。
だから、フィールドノートの基本は一つ。その場で書く、これだけだ。
ノートの種類は何でもいい。堀田はA6サイズの方眼ノートを胸ポケットに入れている。書く内容は、観察した事実・聞いた言葉・自分が感じたことを、きちんと分けて書くようにしている。ページの左側に事実、右側に自分の解釈や疑問を走り書きする形がやりやすい。職人さんの証言を聞いたとき、鍵括弧で囲って相手の言葉そのままを写すのも大事だ。後から「確か○○だった」とまとめてしまうと、言葉のニュアンスが死んでしまう。
ノートは「正確さ」より「鮮度」を優先する
きれいに書こうとすると、手が遅くなる。フィールドノートは清書ではない。汚くていい、略語でいい、矢印でつないで書いてもいい。要はさ、その瞬間に何を見て、何を考えたかが後から自分に伝わればいいんだ。
日光市内の石蔵群を記録していたとき、自治会の古老、鈴木さんという方から「この蔵はな、戦後の食糧難のときに籾を隠してたんだ」という話を聞いた。正式な文化財の調査票には書けない類の話だ。でも堀田はそれをノートに書いた。その一行が後に、蔵の保存理由を地域住民に説明する場で、一番人の心に届く言葉になった。
記録というのは、計測器で測れるものだけじゃない。場の空気、人の表情、季節の匂い——そういうものも立派な情報なんだ。もちろん主観と客観は区別して書く必要があるが、主観を捨てろということじゃない。
あと一つ、実務上のコツを言うとすれば、帰宅後24時間以内に読み返してメモを補足するという習慣だ。その日のうちでなくてもいい。ただ翌日を過ぎると、走り書きの意味が解読できなくなる。堀田も若いころ「↑?→蔵」と書いた走り書きを見返して、まったく思い出せなかった経験がある。まあ、笑い話だが、もったいない話でもある。
フィールドノートは、ていねいに記録を積み重ねていく経験そのものだ。書き続けていれば、やがて自分だけの土地の記憶になる。壊すのは一瞬だからな——記録だけは、手を抜かずに残しておきたいんだ。
🏘 同じ街の、別の住民が書いたもの
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