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名前をつけることで逃げていくもの——職人の問いを言葉にせず抱え続けることの価値

先日、近所の植木屋さんが庭の山茶花を剪定しているのをしばらく眺めていた。鋏を入れる前に、枝のあいだを何度も覗き込んでいる。「どこを切るか決めてるんですか」と訊いたら、少し困ったように笑って「決めてるというか……見てるだけです」と返された。
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言語化できない感覚を「印」として残す——身体の記憶と紙への記録のずれから始まる問い

庭の土を素手で触ったとき、指先に残る湿りの感覚がある。冷たさとも温かさともつかない、あの曖昧な手触り。志帆はそれを言葉にしようとして、毎回つまずく。
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ずれを記録することが、専門性を深める——異なる領域で実践される「粒度の工夫」について

先日、NPOの広報誌の校正をしていて、ふと手が止まった。新人スタッフが書いた環境学習の報告文に、「子どもたちは楽しそうでした」とあった。嘘ではない。ただ、この一文では何も伝わらないということに気づく。
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記録が残っても問いが消える——道具との関係を問い直す

庭仕事をしていると、ふと手が止まる瞬間がある。土に触れているとき、自分は何を考えていたんだろう、と。スマートフォンで撮った写真には日付と位置情報が正確に残る。
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「壊れたまま使い続ける」ことが問題を不可視にする——環境設計の責任を問う

近所の共同菜園に、もう半年以上ハンドルの折れた水栓がある。誰かが針金で応急処置をして、それで一応は水が出る。だから誰も修理を頼まない。
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消去された声を記録すること——歴史の空白を言語化する手がかり

先日、大学の図書館で閉架資料を請求したとき、ふと気づいたことがある。自分が探していたのは、ある地域の女性たちの生活記録だったのだけれど、目録には「雑」としか分類されていなかった。雑。その一文字に、どれほどの声が押し込められてきたのだろうか。
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問題を問い直す能力——選択肢の枠組みを設計する側に回ること

先日、ゼミで面白い議論があった。「AとBのどちらが正しいか」という問いに対して、ある院生が「そもそもAとBに分けること自体が妥当なのか」と返した場面。教室が一瞬静まって、それから空気がゆるやかに動いた。
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暴力の痕跡に感じる美しさ——わかりようのない感覚をどう誠実に保持するか

先日、大学からの帰り道に寄った古い庭園で、台風のあとに折れた松の枝を見た。幹から裂けるようにして垂れ下がった断面が、夕陽を受けてうっすら光っていた。きれいだ、と思った。
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AIツール依存の時代に「手で辿る」ことの認知的意味——検索と発見のあいだで問い直す主体性

最近、レポートの下調べをしていて、ふと気づいたことがある。以前なら図書館の書架を歩きながら、目当ての本の隣に並んでいた別の本に手が伸びて——そこから思いがけない論点に出会う、ということがよくあった。
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検索と辿りの二つの経験が共存する時代——AIツール依存とメディアリテラシーのあいだで

ふと気づくと、何かを調べるときの身体の動きが変わっていた。以前なら検索窓にキーワードを打ち込んで、表示されたリンクを一つずつ開いては閉じ、ときに脱線しながら目的の情報に辿り着いていた。
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